TOSHI

ひとよのTOSHIのレビュー・感想・評価

ひとよ(2019年製作の映画)
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人は、生まれる環境を選べない。それ故に、親がどんな人物で、どんな家庭を作っているかに、決定的な影響を受けてしまう。親と子は別の人格で、子は親とは別に人権がある筈だが、親が殺人犯だったら、世間は子にも“人殺しの子供”のレッテルを貼り、社会から抹殺しようとするのであり、その中で人生を送るのは並大抵の事ではない。

雨が降る中、家で両親の帰宅を待つ、三人兄妹。美容師のように人形の髪をカットしたり、小説の材料として兄妹の様子を自らの声で録音したりと、親がいる時はできない事をしているようだ。そして帰宅したタクシー運転手の母が、夫を轢き殺したと言う。家族に暴力を振るう夫を、兄妹のために殺したと言うのだ。母は刑期が終わるであろう15年後には戻ると約束して、警察に出頭する。子供を守るとは言え、いきなり法を犯す形での決着を突き付けられるのは、子供には残酷だ。母は子を守った事を誇らしいと言うが、一生記憶に残る夜の後、三人は宿命を背負った人生を送る事を余儀なくされる。

15年後、次男・雄二(佐藤健)は、小説家になる夢を持ったまま、東京でアダルト雑誌の風俗ライターをやっている。吃音である長男・大樹(鈴木亮平)は、電気工務店の(MEGUMI)と結婚して、雇われ専務をしているが、妻からは離婚を迫られている。末っ子の長女・園子(松岡茉優)は、母の件による嫌がらせで美容師の夢を諦め、スナックで働いている。「蜜蜂と遠雷」のピアニスト役の記憶も新しいだけに、投げやりでだらしない松岡が新鮮だ。死んだ父の墓参りをして、「死んでるけど、更に死ね」と墓石に水をかけるシーンが最高だ。ピアニストより余程、こちらの方がビビッドに感じる。殺人犯の子供達が大人になると、こんな物かも知れないと思わせる、リアリティがある。
低空飛行だが、それぞれが自分なりの人生を送っている中、刑期を終えた母・こはる(田中裕子)が、茨城の家に戻って来る。刑務所を出て直ぐにではなく、葛藤を抱え、全国を転々とした末に、戻って来たのだ。連絡を受けて渋々ながら、雄二も帰省する。抱きしめられた園子は、母を受け入れるが、雄二と大樹は複雑だ。こはるは、犯罪者の子供としてとてつもない精神的苦痛を与えた事など、全く意識していない様子で、親としての愛情を示されても、受け入れられないのも無理は無い。
サイドストーリーとなるのが、新人ドライバーである堂下(佐々木蔵之介)の人生だ。
礼儀正しく品行方正に見えた彼は、実は人に言えない過去を持っていた。堂下は、別れた妻との間の息子に会うが…。二つの家族の物語が交錯し、とんでもない事態が巻き起こる…。雄二が秘めていた行動も、ショッキングだ。
コミュニケーションが機能不全で、決定的に破綻していた筈の家族に、それでも訪れる再生の予感が余韻を残す。タイトルの「ひとよ」は、あの夜を指す「一夜」の意味だが、「人よ」とも取れる。

悲惨な重い話なのだが、何故か居心地が良い。それは園子が体現するように、どこか「まあ、良いか」という感覚があるからではないか。人間は、いつか必ず死ぬという絶対の事実を先送りにして、緩やかな絶望の中でも、楽観的に生きる生き物であり、それと感覚が重なるのだ。重い話の中、「デラべっぴん」が、まさかのコメディリリーフとして多用されているように、随所に笑いが散りばめられているのも良い。
もう一つはこはるが体現する、白石和彌監督の過去の作品にはなかった温かさだろう。母親の子供に対する愛情は、何があっても揺るがない物であり、それが殺伐とした人間関係を、柔らかな毛布のように包んでいるのだ。

こういった境遇の家族は昔からおり、特に現代性は無い。しかしSNSで誰とでも繋がれるようで、現実で身近な人とは繋がれない現代において、破綻した家族が絆を取り戻す物語の意味は、より増しているだろう。
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