このレビューはネタバレを含みます
『82年生まれ、キム・ジヨン』を観た時も思ったが、韓国の社会情勢は日本と近いが、映画で表現の仕方は日本映画と違い、生々しくも、真っ直ぐだ。昨今のジェンダー格差の発生源は、なんといっても「世間」だ。世間様の視線は私たちの価値判断を規定する。この世間システムが強力に機能するのが、日本と韓国である。この両国に共通するのは、最も近代化に成功した儒教文化圏であること。儒教文化の根底にある家族主義は、明白に男尊女卑的側面を持っている。
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お互いに愛することができない、シングルマザーの母と20代の娘の関係性を描く。
正直「母娘関係」を書くのは、荷が重い。なぜなら映画で描かれていた内容は、男性である自分にはリアリティーを感じられないからだ。母親になりきれない悲しみも、「母殺し」の叶わない葛藤も一生経験し得ない。
同じ下着を共有する母娘。あまりにも近すぎる関係は、互いの区別や境界がぼやけてしまいやすい。
母は母親という社会的役割と自己中心的な欲望追求の間で板挟みになり、「娘をうまく愛せない」。娘は母の板挟みの中で常に痛みに晒され、条件つきの愛すら感じられないが故に「母のことを愛したい」のに愛せない。
お互いがお互いのせいだと思っている。
しかし、物理的に離れてみて、関係性の外に出てみれば、自分がいかに外の世界とうまく繋がれないかを思い知らされる。
関係性を見つめ直すに必要なのは、
「距離感の調整」と「対話」に尽きる。
娘は暗闇の中で母に聞く。
「お母さん、私を愛してる?」
この素朴な問いを母が一笑に付したとき、娘はあることを決意する。
有毒な親との関係性に悩んでいる人に対して、ある心理学者は二つの大原則を提示する。
1. あなたが、まだ無力で自分を守る術がなかった子どもの頃に、あなたが加えられた行為に対して、あなたは何の責任も《ない》
2. 今その行為に対して何かをするために、積極的な行動をとっていく責任があなたには《ある》
優しくも厳しい、含蓄に富む原則だ。