このレビューはネタバレを含みます
美術室で、浅井と阿部が身体的に距離を接近させる場面にて、その成り行きを教室の外から見守る千葉の視線とは別に、フィルムで撮影されたザラついた映像が繋がれる。これは明らかにこの場には「存在しない」何者かの視点なのだが、これについて説明が果たされることはない。
また、浅井と阿部が会話を重ねるシークエンスでも、2人の切り返しショットとは別に、風にそよぐ窓際のカーテンのショットが示唆的に繋がれるのだが、これもまた何か霊的なものを想起させる。特に奇妙だったのは、教室の窓から覗く一切の人物が不在の風景を、人物らが濃密な会話を重ねるシークエンスの終わりに説話的な必然性なく挿入した箇所で、これも不気味さを加速させる。そして、ここでの無人のショットはエンドロールでも終わり際に再提示されていた。
極めつけは、間違いなく登場人物らにも視認できる形で画面に入り込んでいるのにも関わらず、説明責任が果たされないまま何度か映される、美術室の教室に染み付いた血のような赤い手型である。
演出のレベルではなく、登場人物らの視点に立って考えても明らかに不自然なのに、誰しもが言及どころか気にする素振りすら見せないまま映画は終わる。そして、この映画の終わり方というのも考えうる至上のハッピーエンドの一つを迎えていて、奇異な演出とのギャップが余計に際立つ。霊的な禍々しさが青春の眩しさに浄化されたような、そんな映画だった。そして、自転車の躍動感がエグい映画でもあった。