きょんちゃみ

アンネ・フランク 真実の物語のきょんちゃみのレビュー・感想・評価

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【カントとアンネ・フランクについて】

有名な話だが、カントは

「汝の主観的原則が普遍的な法則となることを求める意志に従って行動せよ」

と言っている。しかし、

「誰もが行うべきだと考えられること(=形式的に考えられた道徳)だけをやってください。」

っていうのは、

「嘘をついてはいけない(=具体的内容としての道徳)」

とはまったく違うことを言っていて、それゆえ、

「カントは、ナチスのゲシュタポから逃げてきたアンネ・フランクを、自宅に匿っているような家主が、その家にある日やってきたゲシュタポに「この家にアンネ・フランクはいるか」と尋ねられた場合に嘘をついてはならないと言っている」

という、よくあるカントのリゴリズムを戯画化して馬鹿にする方式ってあるけど、

あれは、カントの価値観に対してはあてはまるけど、カントの倫理哲学に対しては当てはまらないのではないか。

たとえば、このアンネ・フランク事例では、

「誰もが行うべきだと考えられること(=形式的に考えられた道徳)だけをやってください。」

に従って行為すると、むしろ「誰もが嘘をつくべきだから嘘をつこう」という結論になりそう。ただし、これはカント哲学から導かれる結論。

18世紀に生きたカントさん自身は、「誰もが行うべきだと考えられること(=形式的に考えられた道徳)」の具体的内容を「嘘をつかないこと」だと考えていたというだけで、しかしこれはカントさんだけにあてはまる特殊時代的なある価値観というだけ。

あくまでも、「誰もが行うべきだと考えられること」というのは「その時代にどこの地域でも、すなわち空間的特殊性を問題にせずに普遍的に認められていた価値」に過ぎないのだから、時間的にはこの価値観が普遍妥当性という形式上の特徴を維持したままで少しずつ変化する可能性は全然あるのではないか。

カントさんではなくカント哲学自体は、道徳の形式については厳格に規定しているけれども、内容については完全に無記なのだから、そしてそれこそがカント倫理学の面白さなのだから、もしカントさんの寿命が500年で、21世紀までカントさんが生きていれば、むしろ21世紀まで生きている300歳くらいのカントさんは、このアンネ・フランク事例で「嘘をつけ」と言うのではないか?
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