恥ずかしながらようやく鑑賞。
本作で注目すべきは雨と上下と左右の視線と動き、流れである。朝子と亮平の関係は上下に断ち切られている。会社のビルの外階段からタバコを吸いながら見下ろす亮平と、見上げる朝子。2人が心を通じている場面では必ずと言っていいほど同じ向きに流れている。例えば麦と朝子がエスカレターに乗って上へ登っていく場面や亮平と朝子が雨の中を走っていくシーンがあげられるだろう。そして、ラストの流れる川を見つめるふたり。小津安二郎の『早春』を想起させる。
冒頭のエレベーターのシーンについて言えばどこか死の匂いを感じさせる朝子が、麦というある種の死神に天へと連れ去られてしまうかのようにも見える。周りが変化していく中で朝子だけはまるで時が止まっているかのようである。そんな朝子が麦と北海道に向かう車内で見せる表情には徐々に生命が宿っていく様子が克明に描かれている。帰りのバスの車内も然り。見逃してはならない。
本作の猫と2人の関係や人物たちの視線はここには語り尽くせぬほど様々なことを観客に投げかけてくる。レストランでの亮平の視線。亮平に視線を送り続けるマヤ。目は口ほどに物を言うということわざもあるが、映画において目は全てを語る。