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瞳をとじてのbirichinaのネタバレレビュー・内容・結末

瞳をとじて(2023年製作の映画)
4.0

このレビューはネタバレを含みます

1度観ただけでは監督が言いたいことがよく理解できなかった。このシーンやこのセリフには隠された意味があるのだろうと思える箇所がたくさんあって何度も見たくなるし見るだろう。とりあえず観て思ったことを書いておく。

撮影中に突然姿を消した俳優が実は生きているという情報を得て、その映画の監督だった主人公は彼を捜しに行く。デビュー2作目が出演者の失踪で泣かず飛ばずに終わり、その後もパッとしない人生を送るハメになった主人公が、親友でもあったその俳優がなぜ失踪したのか知りたいのは当然だろう。
シスターが経営する高齢者施設に暮らす俳優は記憶喪失(認知症か?)になっていて、友である主人公のことも覚えていないが穏やかに暮らしている。認知症になる人の何割かは、つらいことがあってそれを忘れたいという本能が働いて認知症になるのだと思う。そして、この俳優もそのタイプだと思う。人生でつらいことがあったのか、いろいろな役を演じているうちに多重人格のようになって感情の整理ができなくなったのかもしれない。「人間は記憶と感情でできている」のような医師の台詞があった。つらい記憶を持ったままだと感情が耐えられなくて生きていけなくなるから、認知症を発症して記憶を消し去るのではないか。だから、そんな親友に記憶を取り戻させようとあれこれ手を尽くす主人公は、実はひどいことをしているのかもしれない。とはいえ置き去りにされた主人公や幼い頃に父親に見捨てられた俳優の娘のわだかまりも分かる。

・「ドライヤー以降、奇跡なんて起きない」には笑えた。
・「私はアナ」と「ミツバチのささやき」と同じセリフを言うアナ。
・俳優はなぜチェスの駒を持って失踪したのだろう? 靴を脱いで岩場において、そのあと裸足でゴールキーパーのまねごとをするのは、自殺はやめたけど心が不自由な大人であることをやめて心が自由な子どもに戻ったということか?
・悲しみの王が再会した成長した娘の目の周りの化粧を布で拭き取るのは、大人の女性となった娘の顔ではなく幼い頃の顔を見たかったからか?
・「瞳をとじて」というタイトルの出どころは、亡くなった悲しみの王の目を娘が閉じさせてあげるシーンのことか? もう苦しまなくていいから安らかに眠ってね ということだろうか?

いろいろ考えてみて、主人公やアナの心境、心情は分かるのだけれど、記憶をなくした俳優の心情が分からないということが分かった。

長尺でももっと見ていたいと思う作品もあるが、この作品は自分にとっては120分以内にまとめてほしい作りだった。でも、この作品はもはやエンタテインメントではなく芸術なのだと思う。だから観客ファーストでなくていい、1つ1つのシーンを丁寧に作り込んだり何だり監督が好きなように作ればいいのだ。それにエリセ監督の集大成と思えば「どうぞご自由に」と言うしかない。
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