この名前は既に使用されています

聖なる鹿殺し キリング・オブ・ア・セイクリッド・ディアのこの名前は既に使用されていますのネタバレレビュー・内容・結末

4.0

このレビューはネタバレを含みます

因果応報不条理劇とでもいおうか。心臓外科医の主人公は、かつて自身の執刀ミス(しかも酒に酔っていたことによる)で殺してしまった患者の息子に付き纏われている。初めは罪悪感から腕時計を買ってやったり、共に食事をしたりしたが、あるとき贖罪のために妻・息子・娘のうちからひとり生け贄を選ぶよう迫られる……。
この映画の本質は、バリー・コーガンの存在といっても過言ではないくらい、バリー・コーガンが素晴らしい。救世主キリストは足萎えを癒したが、コーガン演じるマーティンはそれと逆のことを行う。一重の冷たい目で主人公と我々観客を見つめ、一切の説明を排して家族の殺害を迫る。
浅学のため、本作に何か下敷きになった作品か神話のようなものがあるのか、私にはわからない。『イピゲネイアの悲劇』というギリシア悲劇が作中で言及されたが、これかもしれない。なぜ主人公は生け贄に息子を選び、家族もそれを黙認したのか。原典にあたれば、何かヒントのようなものが得られるのだろうか。