ともすれば有色人種に対する差別を可哀想なんて安っぽい台詞を語りかねない
無知な僕らを見事に突き放す、安っぽい同情なんていらないと
描くこの作品にズドンと重い物をぶつけられました
それが長く続く差別の歴史が醸成するものだとしても
黒人どうしですらいさかいが生まれる状況
僕ら日本人には馴染みが薄い問題で正直本質を理解するのは無理なのかも知れないのかな?って思ったりしました
グリーンブックのドンが抱えていた生きずらさ
程度の差こそあれファニーもティッシュも二つの家族も抱えていたんじゃないかと感じました
描かれているものはグリーンブックとビールストリートの恋人たちは対極にみえますが
光と陰と言うよりは、彼等は同周円にいるのではないのかな?
全く自分に非がなくても次の瞬間命すら落とす可能性があるなかで生きている黒人の方々のほんとうの気持ちは極東の島国に生きる僕らには無知、無関心なのを含めてわかりかねる部分ではありますが
例えばアウティング問題とか今の日本に当てはめて考える事の出来る問題なんかも現実存在しているんじゃないのな?って思いました
思うこと考えることを辞めないこと、それが過程である僕らの出来ることなのかもしれないです
その気持ちを繋げることがもしかしたらお花畑と笑われるかもしれない気持ちを
いつか実現出来るヒントになるのかも知れないんじゃないのかな?って思いました
すごくすごく重い物を提示された感じがしました
だからこそ邦題には今回は本質を伝えられてないんじゃないかな?って不満もかんじましたかね。