Yumyum

ロケットマンのYumyumのネタバレレビュー・内容・結末

ロケットマン(2019年製作の映画)
4.0

このレビューはネタバレを含みます

良かった。

この作品は、自分にはちょうどクイーンのボーカルであるフレディとクイーンの活動経歴に関する(事実をもとにしたフィクションありきの)映画「ボヘミアン・ラプソディー」と近い時期に公開された印象があった=ゲイ(バイセクシャル?)の主人公+病気や依存症にくるしむ+音楽家、という「被り」要素が多く(というか宣伝も似たような感じで)ボヘミアン・ラプソディーを先に観ていたこともあり「観るの辛そうだな…」と今まで距離をとっていたのだが、Netflixでの配信終了が間近ということもあり視聴したのだがマジで観て良かった。

親からのネグレクトや言葉や精神的暴力(DV)の虐待を受けながら育ったレジー(親は今でいう「毒親」というやつだ)が「エルトン・ジョン」として世界へ飛び出す話だ。

だから毒親持ちにはキツイ内容だと思う。
かくいう私も昔を思い出してキツかった。

毒親育ちあるあるなのだが「親から虐げられているのに、その親からの愛を求めてやまない、求めずにはいられない」って心理があって、作中のエルトンの親に対する行動(試し行動とでもいうのかな?)「昔は僕に興味のないそっけない態度をとっていたけれど、今や世界のエルトン・ジョンになったのだから、今回は誉めてくれるかも、今回こそ、今回こそは…」と愛される希望を求めて何度も何度も親にコンタクトをとるも、分かりやすく裏切られる姿は過去の自分とも重なって泣いてしまった。

「あんたは誰からも愛されない」

親からの呪いに縛られて病んでいく気持ちもわかるし、現実逃避したくて破天荒な行動(薬の大量摂取、アルコール大量摂取)はもう自傷行為なんだよな…

エルトンがセラピーにたどり着けたの本当に良かった。

だから最後に小さい、幼かったころの自分を大人の自分が抱きしめてケアしてあげる描写は良かったし、そうする気持ちが本当にわかる。

自分も大人なった今、時々昔の自分が顔を出すが、あの時、大人や親たちに否定されたりバカにされた事柄を逆に否定してやることで過去の自分を救っている、ケアしている時がある。

高校生の時に駅で知らない男に抱きつかれて痴漢された時に私の親は
「それが大人になるってことなんだ」とゲラゲラ笑い、「大丈夫だったか?」「怖かったね」と私の傷に寄り添ってくれなかった。その絶望でダバダバその場で泣いてしまったら
「頭大丈夫?病院行ったら?」とめんどくさそうな顔をして嘲笑された過去がある。

その時の傷ついた自分が時折顔を出す時に
「あの親(大人)はバカ野郎だし、未成年を守らない大人はクズだ、だからお前(過去の私)はなにも悪くないし、傷ついて当然だし、泣いていいし、怒っていいんだ。その怒りや悲しみは当然のものだ。お前は今、大人になったのだ、あのバカな大人たちとは違う"未成年は守られて当たり前"というまともな倫理観と社会性を持った大人になったのだから安心してほしい」と過去の自分を今の自分がケアする。

親から幼いころに虐待されると、"当時自分を虐待していた親の年齢に自分が追い付いた"時に辛くなることがあると思う。

だって大人になった今、自分の子どもだろうが知らない子どもだろうが小学生くらいの子どもを(その子どもが何かしたわけでもないのに)「殴る、罵倒する」って考えになることが"あり得ない"んだもの。
だから虐待児が大人になって理解力が深まったからこそ"より傷つく"ってことはあると思うし、エルトンの後半の破天荒(という名の自傷行為)も納得する。

恋人に裏切られた、という傷も結局は「親から愛されなかったから、とにかく誰かから愛されたい」「誰かしらからの真摯な愛がほしい」というような「愛」の枯渇というか、「(本来なら誰しもまず始めに親から得られるはずの)無償の愛への渇望」が大きかったからではなかろうか。

どんなにファンから愛されても、それは「マスコットキャラクター的な愛」であり、エルトンが求めている「愛」とは種類が違うんだよな。そりゃメンタル病むよな…

だからこそ何でもいうが、幼かった自分を抱きしめ、ケアするラストは最高だったし、ラストの楽曲を「i'm still standing」で締めたのは最高の極みだったな。

「i'm still standing」はググると「恋人と破局する曲」と紹介されてたりするが、この映画を観た後だと

「どう考えても毒親から解放→再起("自分はテメーら(毒親)を捨てて生きていくからな"(中指おったて)
)」

の曲だし、そう考えると「SING」というアニメ映画でゴリラの男の子のキャラクター(こちらも犯罪者の毒親育ち)が歌い披露する曲に使われたこともにも「納得」なんだよな。
Yumyum

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