Yumyum

劇場版 アーヤと魔女のYumyumのネタバレレビュー・内容・結末

劇場版 アーヤと魔女(2020年製作の映画)
2.0

このレビューはネタバレを含みます

つまらなかった。

前半は面白かったが後半は面白くない。

「面白くない」というよりは「なんで?/(問題が解決されず)スッキリしない」という疑問しか残らない映画、という印象。

単純にストーリーの構成配分ミスだなと思った。

原作に忠実なのかもしれないが、それでもあまりにも「ぶんなげすぎ」感が否めない。

映画60分に対して漫画60ページ分と仮定するなら、今回の作品は
「導入(起)に10ページ、魔女たちと同居のすったもんだ(承)に40ページ、同居人たちとの生活改善(転)に8ページ、母親らしき魔女が登場し(結)2ページ」
という感じ。

なのでめちゃめちゃ重要(少なくとも私はそう感じた)な
「アーヤと母親らしき魔女の関係性→謎のまま(アーヤが母親だと気づいていないから)」
「魔女(アーヤの母親らきし魔女)はなぜ追われていたのか」
「その追っていた魔女たちの目的は」
など…
が入りきらなくて謎のまま謎のストーリーになっている。

こんなに謎をまくだけまいておいて風呂敷をたためないなら単純に「もらわれていった先が魔女の家だった!」な単純なストーリーで良かったと思う。
(魔女たちとのどたばた!に尺とっても→魔法を真似して作ったらヤバい生物生み出しちゃった!→みんなで解決!くらいシンプルなやつとか)

個人的には「導入に5ページ、魔女たちと同居のすったもんだ15ページ、魔女たちとの関係改善+母親が追われていた魔女たちとの謎30ページ、解決で10ページ」
使うようなバランスが欲しかった。

「実は引き取った魔女はアーヤを親友の娘だと気づいていたよ(アーヤが魔力に目覚める時期がきたから魔女団?にみつからないよう実は引き取ってたよ、親友(アーヤの母親)の裏切りで娘(アーヤ)を最初は小憎らしく思っていたが、いたずら好きな親友の面影に重ねて心を開いていく魔女とマンドレイク)」、とか

「アーヤ・ツールという名前は"人を操る"という特殊魔法を持っているからつけたんだよ」、とか

「アーヤの母親は魔女の掟に逆らって、人間の男と結婚したから追われていたよ」、とか

「母親は一人で魔女団12人を倒したが、残りの13人目だけ倒せなくて、アーヤと魔女たちの隠れ家兼家にやってきて魔法バトル!ラストはアーヤの"操る"能力で解決!普通の家は親が2人だけど3人の魔法がつかえる親がいる誰よりも幸せなアーヤ!」、とか…

私はそういう「(主人公のみならず、主人公によって周りの人間をも成長していく)成長物語」がみたかったし、そういう「血の繋がりだけが家族じゃない」みたいな…そういうストーリーを期待していたが期待しすぎたみたいだ。

ラストのぶつ切りエンド感もさることながら、物語としての「掘り下げや深み」がなさすぎて、正直、子どもでも「?」になってしまうんではなかろうか。

エンドロールも「その後の…というか詰め込めなかった本編の付け足し感」が否めなかった。
加えて、「その後のストーリー絵」ならなぜ「アーヤの母親らきし魔女の存在が皆無」なのかと釈然としなかった。
「3人+アーヤとカスタードでバンド再結成!」的なエンドカード一枚あっても良かったんじゃなかろうか…

原作ありきの「(オリジナル要素付け足し)映画」ってある意味「二次創作」だと思っているのでキャラクターは魅力的で当たり前(原作があるから)なのだが、ストーリーにオリジナル要素つけたすなら「キャラクターを活かすストーリー付け」も必須だったのでは?
多分「バンド設定」はオリジナル要素だと思うんだが、じゃあそのバンド設定「このストーリーに活かせてた?」って考えると「NO」だと思う。

例えばラスト、魔法バトルかなんか起きて、魔女たち(アーヤの母親とベラが)セッションしながら魔法を操る(あんたまだ鈍ってないじゃん、あんたもね、でセッションしながら仲直り)マンドレイクも加勢する→バンド(演奏)しているような魔法バトル、みたいな活かしかたとかできたんじゃなかろうか?
わざわざ「(原作にはないであろう)バンド設定」をつけたすなら「わざわざ付け足した意味」を見せて、作品内で説明してもらわないと…。

キャラクターに全振りしたためにストーリーがぶんなげ、になった作品という印象だった。

キャラクターが魅力的なだけに、そこだけが本当に本当に残念。
Yumyum

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