Yumyum

ラストナイト・イン・ソーホーのYumyumのネタバレレビュー・内容・結末

4.5

このレビューはネタバレを含みます

良かった。

しかし性的暴力というか男性からの女性への加害シーンがリアルすぎるので、特に女性は注意が必要かも。

60年代の主人公は主人公の祖母なのかな?と思ってみていたので(母親にしては年代が違うかなというのと都会への懸念の言葉などから)「そっち(大家さん)かー!」とビックリした。

現代世界の主人公の彼氏(的立ち位置)の存在が「女」だったら完璧だったのにな、と思った。

「出会ってまもない男」相手に「(幻視という名の過去夢で見た)男からの性暴力や加害について」なんて普通ハードル高すぎて話せないと思うんだが…
これ相手が「女」なら違和感ないんだよな。男性からの「加害」を「(大なり小なり日常の実体験含め)わかってる」から。
だから後半ギリギリまで男の見せ場はないので(自分が体験していることを話せないから)テンポが少し悪い、女だったら中盤あたりで「話せる」のでバディで事件解決まで安全にいけると思し、少なくとも2人で裏取りしながら調べたら「元警官」を犯人と勘違いすることはなかったと個人的には思う。

「私を殺したから殺してやったんだ、殺してなにがわるいんだ(意訳)」「悪くないよ」という会話に納得。

あの男どもを殺しても「悪くないよ」だし、むしろ殺したくらいで許されるわけでも許されるべきでもない。
日本的にいうなら「成仏できない」から主人公に「助けて…(受話器をわたす)」とすがったんだろうが、「助けて」ほしかったのはテメーらにレイプされた(金を払ったから合法ではない、あれはレイプだ)もう1人の主人公のほうだ。
それを「嫌だ」と拒否し突っぱねた主人公は真っ当。

「多かれ少なかれ男は※女衒(ぜげん)である」という言葉を思い出す映画であった。
※女衒→女を遊郭などに売り渡す男。男から(女を適当に声をかけ仕事内容を伏せ)男(女を見せ物、食い物にする男)に売り渡す男のこと。

多分女なら大半は"女衒"に出会っているのではなかろうか?

例えば「先方との仕事の打ち合わせ」と称して男の上司に呼ばれついて行ったら
「先方の男」「その同僚の男」と「仕事の上司の男」に対して「唯一女の自分」が「男たちをもてなす接待嬢扱い」として使われる。とか。
仕事の話は5分で終わり、男たちは延々セックスやエロの話で盛り上がり、唯一の女である自分の反応を見ながら「公開セクハラを楽しむ会」をする、なんてあるあるではなかろうか?

そういう、女が男によって別の男に「仕事」と称して「差し出される」卑しさをこれでもかと判りやすく描いた映画だと思う。

女を差し出す男は差し出す相手の男からの「信頼」を得たいがために男が男のご機嫌とりに「女を利用する」。
「女はバカだから騙されるのだ」「騙されるほうが悪いんだ」と自分がやっている卑怯な手口には目をつぶり、騙された女のみを叩く。
男は男からの「称賛」にのみ「男らしさの価値や存在意義を見いだす」、それがホモソーシャルで有害な男らしさの二重、三重苦な生き方だというのに、その場所から男は降りない。
降りたところで女になるわけではないのに。
「負けた」と思ってしまうのだろう。
同情する気はさらさらないが、ホモソーシャルの有害性の中でしか生きられないのなら哀れで可哀想な生き物だなと思う。

あの殺された男たちが今の今まで「仲間であるはずの男たち」によって発見されない、探してもらえなかったのは「ホモソーシャルの有害な友情なんてそんなもんだよ(有害な絆で結ばれた友情なんてまやかしだよ、本当の友だちじゃないから失踪したところで「あいつなら不倫で失踪したんじゃね(笑)」「あいつが店通いしてたの言ったら俺の店通いもバレるから言ーわない(笑)」なんて切られちゃったんだよ)」というホモソーシャルにしがみつく「無意味さ/虚しさ」も表しているのでは?

マジで殺された男たちに「真の友人」や「真の家族」がいたら、即解決してただろうよ。
Yumyum

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