Yumyum

ジョー・ベル ~心の旅~のYumyumのネタバレレビュー・内容・結末

ジョー・ベル ~心の旅~(2020年製作の映画)
3.5

このレビューはネタバレを含みます

思っていた通りの映画だった。

もうマイノリティがマジョリティに殺されてしまう作品は事実だとしても辛くて嫌だな。

WW2時代のピンク/ブラックトライアングル時代でもあるまいし…早く日本は同性婚実現させてくれ。

「この親父は息子の死の原因が自分にもあることを見たくなくて、セルフセラピー行為(旅)してんだろうけど、それに気づく描写がなければただのオナニーと一緒だぞ?」
とハラハラして見ていたが、ちゃんと「気づく」ので良かった。もう遅いけど。

自分は自分の子どもや家族がゲイであることの何が不満で恥で困惑なのかがわからないので、主人公(親父)世代の気持ちがいまいちわからない。

特に男性にホモフォビアな人間多い印象。なぜなんだろうか…

作中でもゲイである主人公を気にかけたり理解を示したり、サポートしようとするのは母親を始め女子や女性で、ゲイに反感をもったり、あからさまな態度で差別的なことをするのは父親を始め男子や男性で…この差はなんなんだろうなと思った。

自分の中学時代、クラスメイト数人(男女混合)と雑談していた時に「自分の子どもが同性の人間を恋人だと家に連れてきたら」という話題になり、自分は「別にかまわない、おめでとう、良かったね、という」と答えたら、男子のほとんどが「気持ち悪いィ(笑)」と笑い、女子のほとんどが「可笑しかねぇだろ、どの口で言ってんだよ(怒)」とキレイに反応が別れたことをまざまざ思い出した。
笑いながら「気持ち悪いィ」って言う様が一番気持ち悪かったな。

「多様性を認めない多様性もある」という感想をみたが、自分は「もう既に目の前に存在している多様性(LGBTを始め人種に他文化等々)を認める/認めない論議してる段階はとうに過ぎただろ」という感想。
「差別をする自由もある」というトンチキ解釈と地下茎的な嫌な何かを感じる。

目をそらそうが現状問題「多様性」は存在しとるし、「俺は/私は多様性を認めない」って立場なら厳しいこというが人間社会で暮らすのは無理では?とさえ思う。

多様性=LGBT、じゃないから。

多様性=「みんな違ってみんないい」問題、に矮小化されがちだが、「今まで普通だった/普通だと思わされてきた(性別、民族等なバイアスなどで普通と思わされてきた)」ことに「そうじゃないだろ」「NO」という発言ができ、今までの「刷り込み的なバイアス(偏見)」が間違いだ、とやっと知られるようになったこと、ではなかろうか?

例えば「むかしから家事は女の仕事といわれてきた」という「性別に付属させられた社会的な思い込み押し付け」をやめましょう。
ということではなかろうか?

女は好きで家事をしているのではなく「外で働けるのは男だけ」とされた女性差別の時代のバイアスの名残だよ。という…。

それらはポリティカルコレクトネスにも繋がることなのだが、どうにもそれらに拒否反応を起こす人間が男性に多いように感じるのはホモフォビア(+マイノリティー差別)やミソジニー(+女性差別)への拒否反応と根っこは同じに感じてならない。

話は逸れたが日本は10~30代の死因1位がここ数十年ずっと「自殺」なのは異常すぎるし、若者を追い詰める、生きにくくしている政治問題に大人は目を向けるべきで、力の弱い若者(特に10代)や取りこぼされてきた世代が生きやすくなれば、自ずと上の世代も楽になるし未来も明るくなっていくというのに、なぜ「今の生きづらさ(俺の時代は我慢したんだからお前ら{今の若者}も同じくらい我慢しろよ)」を下の世代にも押し付けようとするのかが謎すぎる。
Yumyum

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