R41

エクソシスト ビギニングのR41のレビュー・感想・評価

エクソシスト ビギニング(2004年製作の映画)
4.5
夜にお酒を片手に見るにはもってこいだと思った。
エクソシストは初代のあの恐ろしさが根幹となっていて、悪魔という得体の知れない者に対する恐怖がホラー作品の新境地を作った。
そしてこの第4作にして初回の前の物語を描いている。
この物語は特に信仰というものに焦点を当てている。
悪魔祓いの根幹でもある。
主人公メリン神父の過去と悪魔との対峙と彼の新しい目覚めが、物語性を非常によく表現していた。
また、神父という職業を捨てた男の現在の姿が考古学博士という設定はぶっ飛んでいるものの、そこをスタートとしていることで違和感がないのもよかった。
そして悪魔との対峙だが、メリン神父の信仰という概念を表に出さず、何故信仰を捨てたのかという点を強調しつつ、彼の過去と葛藤を描き出し、一見悪魔と対峙しつつも実は自分の過去と対峙しているという点もまた素晴らしかった。
ホラーではあるが、物語として十分に楽しむことができる。
さて、
私たちはいったい何が怖いのだろう?
この作品における怖さは悪魔というものであるが、実際メリンが対峙していたのがあのナチスのしたことだった。
「今日は神はいないぞ、神父」
そう言って一人の少女を引っ張り出して頭を打ちぬいた将校。
この人間性
結論的だが、やはり一番の怖さは非人間性なのだろう。
メリン神父は子供たちに銃が向けられまいと必死になって年老いた者たちを「指名」した。
これはまさに恐怖そのものだったに違いないと、誰もが思うだろう。
彼にとってこの出来事に勝る恐怖などすでになかったのかもしれない。
あの時メリン神父にできることなど何もなかった。
しかし今、悪魔との対峙によってメリン神父には憑りつかれたサラを救いたいという愛のようなものが自分自身の中にあることを感じることができた。
恐ろしい顔つきになり、目をむいて襲い掛かってくるサラ。
しかしその場面を見ていても、あの時の神父の恐怖に比べると襲い掛かってくるサラを抱きしめることができるように感じた。
非人間性に比べれば、悪魔の所業など取るに足らないのだろう。
メリン神父に見えたのは、サラはどんな時もサラだったのだろう。
悪魔に憑りつかれても、サラの人間性が失われることなどないのだ。
さて、、
悪魔の存在を信じるのは神が存在していることの裏返しで、この二元論がこの世界の理だからだろう。
思い出すのがナショナルジオグラフィックから出ているDVD「ユダの福音書」
これはエジプトの砂漠で発見された古代のパピルス文書「ユダの福音書」に焦点を当てたドキュメンタリー。
ユダの福音書は、イエスを裏切ったとされるユダの知られざる物語を描いる。
この文書は、従来のキリスト教の教えとは異なり、ユダをイエスの最も忠実な弟子として描いているのが特徴だ。
つまり聖書はそもそも都合のいいように書き換えられていたことになる。
誰の都合?
おそらくイエスから「この岩の上に私の教会を建てる」と言われたとされた12弟子のひとりペテロ、初代教皇。
勝手極まりないことだが、私は裏切り者こそこのペテロだったのではないかと思っている。
彼こそ「神」というものが第三者的なものであることを伝播した犯人だろう。
その神の声を一番よく聞くことができるという特権を自分が持ち、人々を支配するのが構造だ。
これはエジプトにある洞窟内で盗掘者によって発見された。
盗掘者は古美術商に大金を吹っ掛けるが、ことごとく商談がまとまらず悪条件下で写本がボロボロになる。
ようやくイェール大学がこのことを知り復元作業となった。
その一部始終をナショジオがドキュメンタリーにした。
「ユダの福音書」は、イエスとユダ、他の弟子たちとの対話形式で構成されている。
物語は、イエスがイスカリオテのユダと語る場面から始まる。
イエスの宣教と十二弟子の召命: 物語の導入部として、イエスの活動と弟子たちの召命。
弟子たちの無知とユダの知識: 他の弟子たちの無知に対し、ユダがより深い知識を持っていることが強調される。
上なる世代の告知: グノーシス主義的な思想に基づき、天上の世界に関する情報が語られる。
ユダの幻と説明: ユダが見た幻の内容とその解釈が語られる。
世界と人間の生成神話: 世界の起源と人間の存在についての神話的な説明が展開される。
人間と世界の運命に関する議論: 人間とその運命、世界の終末についての考察が含まれる。
ユダの役割: ユダがイエスの計画において重要な役割を担っていたことが示される。
イエスに対する陰謀: 物語の結びとして、イエスに対する陰謀が描かれている。
この最後の部分は、イエスがユダに銘じて「裏切ろ」と言ったとされている。
しかし個人的には、その部分の発表は書き換えられていると思っている。
死海文書の内容と同じように、肝心な部分が発表されていないように思う。
妄想でしかないが、大いなる陰謀を感じてしまう。
6件
  • 月

    おはようございます 宗教という存在そのものが大いなる陰謀だと…笑 誰にとっての? 誰のためにある? な〜んでねっ💦 この作品をそこまで考察! さすがです

  • R41

    月さん 毎回私の妄想に付き合ってもらってありがとうございます。 西洋作品で「神」が題材となることでどうしても皮肉りたくなってしまいます。

  • Haruka823

    夜に観るのは怖そうですね😱💦

  • R41

    Haruka823さん おそらく大丈夫です。 私が苦手なだけです。

  • ちゅー

    すすごい!この作品は絶対にお酒片手にはみれない…私のトラウマ映画です

  • R41

    ちゅーさん コメントありがとうございます。 …怖いということでしょうか?

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映画とは、純粋に見て面白いという素直な感想がベースに存在すると思う。 そして制作側の表現には必ず意図があるはずだ。これがぶれてしまえば視聴者に見透かされてしまう。視聴しながら飽きてくるのだ。 膨大な…

映画とは、純粋に見て面白いという素直な感想がベースに存在すると思う。 そして制作側の表現には必ず意図があるはずだ。これがぶれてしまえば視聴者に見透かされてしまう。視聴しながら飽きてくるのだ。 膨大な時間と多額のお金と目的意識を持った人々とで作られた映画というコンテンツは、時に一昔前とは比較にならないほど様々な要素が入り複雑化することがあるが、このツイストがたまらなくドキドキ・ワクワク感を演出してくれる。 そして重要な要素のひとつが、主人公への共感だ。 動き出した動機、葛藤、やがて答えを導き出す…。まるで誰かの人生をそのまま見ながら、自分をそこに重ね合わせている。 逆に主人公に共感できない作品には、別の視点で見ろと言う監督からの強いメッセージがある。 それを読み解く面白さも格別だ。 多くの作品が割と単純なエッセンスで構成されるにも関わらず、時代背景やジャンルによって無数の表現になる。 その表現が蓄積され、まるでブラッシュアップされるように洗練されていくと、人の心の真髄に突き刺さるのかもしれない。 そんな作品は単純な構成にも関わらず、必要要素だけで満たされ、映画ならではの美しい映像がいつまでも心に残る。 どの作品もこのような制作者の意図が出ている。 そして僕は、そのように作られたすべての作品に敬意を表してコメントを残したい。