かなり悪いオヤジ

ブリュッセル1080、コメルス河畔通り23番地、ジャンヌ・ディエルマン/ブリュッセル1080、コルメス3番街のジャンヌ・ディエルマンのかなり悪いオヤジのレビュー・感想・評価

3.8
ブリュッセルのこじんまりとしたアパートで息子と二人暮しをしているジャンヌの日常生活は、きちんとしたルーティンで回っていることが伺えます。旦那は若くして病死していて、息子は文学部の大学生。余所の赤ちゃんをちょっとだけ預かるベビーシッター業と、誰もいない昼間のアパートでの売春業で生計を立てているようなのです。カナダにいる妹は姉のジャンヌに時折洋服をプレゼント、そのお礼の手紙を郵便局に出しに行き、その帰りにいつもの喫茶店の同じ席でお茶するのが唯一の楽しみ。

ほとんど台詞らしい台詞もなく、第一声は映画開始から十数分経って主人公の口から発せられる、「(朝食を)ちゃんと食べて」なのです。そのくせ上映時間が200分と超長尺な理由は、通常の映画ならば間違いなくカットしてしまうルーティンワークのフッテージを残さずカメラですくいとっているからにほかなりません。台所仕事にお片付け、服の着替えにお化粧直し、売春の後のベッドメイクに入浴&風呂掃除、息子のための靴磨きも毎晩欠かすことはありません。

男が面倒臭がってやりたがらない細かい家事をメインにドキュメンタリータッチで映し取った一種のアート作品なのです。そのジャンヌを演じているのが、アラン・レネ監督『去年マリエンバートで』に出演していたフェミニズムの闘士としても有名なデルフィーヌ・セリッグ。あの昭和の名女優高峰秀子とまではいかないまでも、炊事洗濯のこなれぐあいはまあまあといったところでしょうか。カツレツの下ごしらえをした後の、テーブル上の小麦粉の拭き取りにかなり甘さを感じたものの、“普段から家事をちゃんとこなしている”感はそれなりに出せていたと思います。

そして問題の2日目、客を返した後ジャンヌに次々と“ボタンの掛け違い”が生じていくのです。お客の金を入れるポットの蓋をしめわすれ、髪はボサボサのまま、靴磨き中ブラシを床に落としたかと思えば、いつもの喫茶店のあの席には違う客が座っています。預かった赤ちゃんはなぜか泣き止まず、キッチンで飲むカフェオレの味がいつもと違ってまずく感じられ、流しに捨ててしまうジャンヌ。イライラのピークに達していたその時、ジャンヌのアパートへ客がやって来るのです。

この映画を“物語”としてとらえたい人は、2日目の客でジャンヌがエクスタシーを感じたからだなんてこじつけをかましているようなのですが、それはどうも違っている気がするのです。息子の年齢から推測してジャンヌの年齢はおそらく40代半ば、閉経前にホルモンバランスが大きく狂う女性特有の更年期障害にジャンヌは突如として襲われたのではないでしょうか。いずれにしてもあの“刺殺”には、ほとんど理由らしい理由など見当たらない発作的な行動として、アケルマンはカメラに切り取ろうとしたはずです。

アブデラティフ・ケシシュが『アデル、ブルーは熱い色』で、ティーン最終章の女の子の日常を赤裸々に描いたように、アケルマンが“女性が女性でなくなる瞬間”(→フェミニズム)をドキュメンタリータッチでひたすら硬質に描いたアート作品。それが本作に対する私の正直な感想なのです。フェミニズムがいいとか悪いとかではなく、女性にマウントしてくる男の刺殺や、女性が家事に縛られる様子を寓話的に描くことによって、フェミニズムそのものをシンプルに表現した作品だったのではないでしょうか。ジャンヌのように主婦業も極めれば楽しみに変わるわけで、普段から家事や育児をサボっている方に限って余計なことを思いつくものなのです。
0件

    いいね!したユーザー

    かなり悪いオヤジ

    かなり悪いオヤジ

      趣味は“後出しジャンケン”です。