ブリュッセル1080、コメルス河畔通り23番地、ジャンヌ・ディエルマン/ブリュッセル1080、コルメス3番街のジャンヌ・ディエルマンの作品情報・感想・評価

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ブリュッセル1080、コメルス河畔通り23番地、ジャンヌ・ディエルマン/ブリュッセル1080、コルメス3番街のジャンヌ・ディエルマン1975年製作の映画)

JEANNE DIELMAN, 23 QUAI DU COMMERCE, 1080 BRUXELLES

製作国:

上映時間:198分

4.4

「ブリュッセル1080、コメルス河畔通り23番地、ジャンヌ・ディエルマン/ブリュッセル1080、コルメス3番街のジャンヌ・ディエルマン」に投稿された感想・評価

1234

1234の感想・評価

5.0

このレビューはネタバレを含みます

省略しないからすごいでしょで終わらないで200分ずっと映画にするからヤバい
一口飲んだカフェオレを即座に捨てるとこ、ジャケットになってるだけあってかなり印象に残った あっこから一段ギアがあがるし

このレビューはネタバレを含みます

妻であり、母であり、娼婦であり女である三日間のルーティーンの話。日々のルーティーンをこなす彼女の少しずつの変化、いずれはそうなると思っていた。魔が差した。
三日目の男を殺してからの行動は、とてもわざとらしくそれが女だと思った。
人を殺してしまった!慌てなきゃいけない!みたいな。でもふっと我に返っていつも通りの生活を淡々と送ろうとする彼女には共感しか得なかった。素晴らしい
映画において日常的な所作に注目するためのトレーニングのような映画
SN

SNの感想・評価

4.5
どこにでもいそうな主婦が起こした殺人事件(映画的な主題)を、限りなく非映画的、あるいは超映画的な視点から描きだした傑作。
わずかばかりの劇的効果も齎さない固定カメラ。ただ、ありのままの日常を切り取ることを目的とした長回し。そして、退屈と緊張が紙一重に存在する長尺。物語は物語として成立せずに、一切の要約を拒む。「喜び」に満ちた作品ではないが、ラスト10分の苦悶と解放感が入り混じった主人公の神妙な趣きには、圧倒されるより他にない。
ただ、息子が老けすぎ。最初見た時は旦那かと思った。
そこそこ長いせいで足踏みしていたけど、この度mubiでようやく鑑賞し、その特異性にいろんな意味で衝撃を受けた。

基本未亡人の日々の暮らしや家事を淡々と流しているだけで結構苦痛を伴うものだったのだけど、その苦痛も日常の苦痛というのを表そうとした計算通りのものだったろうし、個人的に小津の撮影スタイルが大好きだからこのオマージュを捧げた撮影と構図はずっと見続けられて、しかも小津演出も過剰に淡々と行えば寒々とした空気になるという例としても興味深かった。

しかも描写が淡々としていたが故に、後のハネケ作品同様後半からどんどん不穏な空気となっていって(前半からその兆候は十分あったとはいえ)終盤で遂に事件が起こったときは一層印象付けられることとなるのだけど、長々と見続けた結果があのラストというのは中々重くのしかかるものがあって、これが名作と謳われる所以かと唸った。

しかし尺の長さと淡々としすぎな描写のせいである種退屈にも思えてうんざりさせられるけど、そのことが作品の評価を強める結果となる例というのは他に数える程しか無く、その他の例というのも思いつく限りこの作品以降のもの(タル・ベーラやラヴ・ディアスの作品)ばかりなので、この前代未聞の映画を作り上げたアケルマンは賞賛に値するし、もう一度通して見るのは少し敬遠してしまうが自分としても強く心に残る作品となった。

どうでもいいけど折り畳むと椅子になるベッドがめちゃくちゃイカしてて便利そうでちょっと欲しくなった。
Roland

Rolandの感想・評価

4.5
構造映画のほころび

自分も『ニーチェの馬』を想起した。芋映画。
No.592[他人を演じるということ、別の人生を生きるということ] 80点

みんな大好きジャンヌ・ディエルマンを私は初めて見るのだが、これがまた不思議な映画だった。ちなみに言いたいのだが、正しい邦題は「ブリュッセル1080、コメルス河畔通り23番地、ジャンヌ・ディエルマン」だ。コルメスでも3番地でもないから、この邦題はどっからとってきたのだろうか?住所間違えたら手紙戻ってくるぞ。

映画の内容以前に”演技とはなにか”という面で考えさせられた。
まず商業俳優という職業があり、それに対して素人俳優と呼ばれる人々がいる。前者の中でも上手い下手があり、後者も同様である。素人を使うので有名なのはブレッソンや濱口竜介なんかがいる。他にもリアリティの追求のために使う場合(ベッケル「穴」、イーストウッド「パリ発15時17分」、キアロスタミ「クローズ・アップ」)や別ジャンルの人間を主演にする(アイドル映画など)なんてこともある。ただ、その多くに共通するのが、”演技=他人を演ずること”だと思う。他人を演ずるということは、つまり別の人生を生きるということであり、俳優はカメラを通して監督の求める熱量の”人生”を送るのだ。
という観点から見ればデルフィーヌ・セイリグはジャンヌ・ディエルマンという些細なボタンの掛け違えから狂気に転落する上流階級の未亡人の人生を生きているし、同時にデルフィーヌ・セイリグという「去年マリエンバートで」とか「ミュリエル」とかに出演した女優としてカメラの前にも立っているのだ。本作品で"演技"の過程と結果を同時に写し続けることで、演技とは何かを問うている。なんかどっかで見たなと思ったら「彼女について私が知っている二、三の事柄」の冒頭だ。

私の考えは、"映画は演劇の派生であるので根源的には商業俳優とそれに感情移入することで得られるカタルシスが演技の真髄"としているのだが、別に異論は認めるし異論側から傑作を見出すこともある。ただ、魂に共鳴するかどうかで映画の評価は大きく変わると思うから、やはり演技って共感だよね、と思ってしまう。こんな甘ちゃんな私をお許しあれ。

物語は、よく”ミニマルな実験映画の傑作”と言われる通り、主婦の抑圧された日常が少しずつ狂っていき、最後に狂気に転落するというありそうでなかった話である。最もよく本作品を表しているのが、作中にも登場するボードレールの「敵」という詩である。これは時間の無慈悲な経過と人間の人生に対する哀しみを綴った詩なのだが、ジャンヌ・ディエルマンの人生そのものである。夫に先立たれ、思春期の息子とはほぼ会話もなく、生活費のためにベビーシッターや売春を淡々とこなす日々。時間は無限に過ぎるが、自分は何もなし得ていないという感覚。恐ろしや。

まぁ、時期も悪かった。長かったので2日に分けたのだが、後半は「イカリエXB-1」と「四月の永い夢」という最強映画を見た後に見る羽目になったので評価が上手く付けられない。というわけで、いつか再見することを願ってCriterionのBlue-rayをポチったのだった…

追記
購入したCriterion CollectionのBlue-rayは画質音質共に素晴らしかった。ただ、もう一度3時間見ようと思えないことに気付くのが遅かった気がする。
kagata

kagataの感想・評価

4.0
コーヒーも入れたことがなかったという上流階級出身のデルフィーヌ・セイリグがアケルマンによって「女性の身振り」を強いられることで、 セイリグはテクスト内外で二重に「女性」であるのだと思う。『何故R氏は発作的に人を殺したか?』は見なくてもよいが、『ブリュッセル1080、コメルス河畔通り23番地、ジャンヌ・ディエルマン』は見る必要がある。
Mitsunoir

Mitsunoirの感想・評価

4.7
最初は身体を洗っていたんですね。部屋で落ち着かなくなりつつも座ってる固定ショットはものすごい息が詰まった。動きほぼなしのロングラストショットにはもう唖然というか言葉を失った。筆舌に尽くしがたいってやつじゃ。

単調というより習慣化された日常のシーンの積層が光なき道を歩み続けているような倦怠を充満させ、途中から生まれるズレと不協和の増加に伴ってえも言われぬ不安が込み上げてくる。何を見ていたのか。不完全のようで完璧な映画だった。

最近買ってなかったけど、じゃがいも買おうかな。ルーティーン的とはいえどんだけじゃがいも食うんだよ。
DK

DKの感想・評価

4.0
個人的なことだが、本作を観る前に『I don’t Belong Anywhere』を観てしまったことが本当に悔やまれる(ネタバレあり)。
映画としてはとても面白い、というかあまり観察者として映画を観ることがないので、妙に気合を入れて鑑賞してしまう…ラストシーンまでジャンヌがずっと同じ顔なのがほんと怖い。ホラー。終始流れる生活音というか雑音が奇妙な味わいを出している。
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