備忘のために
○ヴァレンティーノ・オルシーニと別れ、兄弟ふたりだけの名前がクレジットされた最初の作品。
○1964年8月、ローマでのイタリア共産党の歴史的指導者パルミーロ・トッリャッティの葬儀が題材。同年、タヴィアーニ兄弟は、葬儀のドキュメンタリー『L'Italia con Togliatti』に他の監督たち(Elio Petri, Valerio Zurlini, Carlo Lizzaniなど)と参加。そのときの白黒の映像が、この映画にも用いられているけれど、それがフィクションとみごとに絡み合う。
○「トッリャッティの葬儀」(1972)というレナート・グゥットゥーゾの作品にはためく赤旗が、おそらくはこの白黒映画にはためく旗の色なのだろう。同じく、「トッリャッティの葬儀」はパゾリーニの『大きな鳥と小さな鳥』(1966)にも登場するはずだが、こっちはちゃんと見直しておく必要がある。
○同時代を素材にした長編映画としては3作目で、白黒の映像はこれで最後になる。さまざまな実験をしてきただけあり、映像的なまとまりがグンと良くなっている。カットは秀逸で個性がある。ハッとさせるようなモンタージュに編集のテンポはもはやタヴィアーニ節、ドキドキさせられてしまう。Un uomo da bruciare もすごい映像だったけれど、こちらはタヴィアーニ兄弟の実質的デビュー作と言えるかもしれない。
○原題の Sovversivi は「危険分子たち」でもよいのだけど、体制を「転覆させる sovvertire 」ことを目指す者のこと。その意味では「反体制派」ということ。その意味するところは、表面的にはトッリャッティの葬儀にかけつけてきた共産党の党員やシンパたちということなのだろうけれど、カメラがおいかける主人公たちが、それぞれに既存の秩序を転覆するようなものを抱えているということ。
○例えば、地方のまじめな共産党員セバスティアーノの妻ジュリア(Marija Tocinowsky)。彼女は、葬儀に向かう夫の強い勧めで、しぶしぶローマに出てくるのだが、そこで出会った夫の友人パオラ(Lidija Jurakic)に触発されるかのように、自らの同性愛に目覚めることになる。かつがれたと思いたがる夫だが、ジュリアはもはや自分がレズビアンであることを取り繕うことはない。異性愛という体制に対する「反体制派 sovversiva 」であり、そういう意味での「危険分子 sovversiva」だというわけだ。
このジュリアとパオラを演じた女優さんのプロフィールがよくわからないのだけど、イタリアの女優ではない。想像だけど、こういう危険な役を演じてくれる女優がいなかったからかもしれないな。
○印象に残るのは、哲学科を卒業し両親からは教授職を期待されながらも、その期待に反抗する20代の若者エルマンノ。演じるのは歌手として有名になる前のルチオ・ダッラだけれど、小太りで毛むくじゃらの彼の存在感が実によい。才気に溢れ、頭は切れるが、甘えん坊のおぼっちゃまで、自信だけはあるけれど、何をして良いのかわからない。トッリャッティを小馬鹿にするようで、その偉大さに憧れてもいる。とにかく体制的な押し付けが大嫌いで、共産党の指導者の葬儀を馬鹿騒ぎだという老紳士に、突然に切れて殴りかかるだけではない。止めにはいった仲間たちまでにも手を出す始末。
忘れられないのはこんなセリフのやりとり。葬儀を撮影に行ったはずなのに猫を撮っているエルマンノが、こう聞かれる。
「子猫がトッリャッティの死となんの関係があるんだ?」
子猫たちの母親になり代わった彼は、こう応じる。
「わたしが死んでしまったら、かわいそうな子猫たちはどうなるのでしょうねか」。
これって、けっこう強烈なセリフかもしれない。共産党の偉大な指導者トッリャッティの死後に残された党員たちは、盲目だとで言うように聞こえるのだから。
○映画監督ルドヴィーコ(フェルッチョ・デ=チェレーザ)のエピソードも興味深い。一見、フェリーニの『白い酋長』や『8½』を思い出すものなのだけれど、どうやらタヴィアーニ兄弟には、精神的な危機にみまわれた映画監督という独自の主題が、実現されないままに眠っていたのだというが、それが、このエピソードにつながったということらしい。
○それから、よくわからなかったのがベネズエラ人の政治難民エットレ(ジュリオ・ブロージ)とジョヴァンナ(ファビアンヌ・ファーブル)のこと。ジョヴァンナはイタリア人の両家の娘だとして、政治難民のエットレはどういう状態なのか。
調べてみると、1964年のベネズエラはちょうどプント・フィホ体制と呼ばれる民主主義的に安定した状態にあったようだ。これはロムロ・ベタンクール大統領の民主行動党と、キリスト教社会党の2大政党が中心となって協約を結び、繰り返されてきた軍事クーデターが起きないように、安定的な政治体制を築こうというもの。ただし、ここでは共産党は排除されており、ベネズエラのベタンクール大統領は、とりわけキューバ危機(1962)のころに、ケネディ大統領と接近し、政治的には反キューバ、反共の姿勢を取っていた。
だとすると、トッリャッティの葬儀でローマの街に赤旗がはためく様子を見て興奮するエットレは共産主義者であり、「産油国」として栄えながらも、貧富の格差が増大していることを故郷ベネズエラの腐敗体制の「転覆 sovvertire 」を目論む「危険分子 sovversivo 」ということになる。