「押井守の映画50年50本」の「パリ、テキサス」についての部分を読めば、何を表現したかったのかぼんやりと理解することができる。ヴィム・ヴェンダースを心に意識すると確かにめちゃくちゃ面白い。
個人的に考えたことは、時間というものを本来の形として捉えて(流れるものではなく、ただそこにあるもの、事象を紐づける箱みたいな)その形を自在に組み換えるという映画だけが使うことのできる表現を存分に感じられる作品ってところなのかな(ちょっと自分でも自信がない…)一旦、既存の考え方は全部捨ててシーンごとに生み出される感情を楽しむべきって感じなのかな。
とりあえずディレクターズカットがもし出たらぜひ見てみたいです。