テロメア

すずめの戸締まりのテロメアのネタバレレビュー・内容・結末

すずめの戸締まり(2022年製作の映画)
5.0

このレビューはネタバレを含みます

「大事な仕事は、人からは見えないほうがいいんだ」

初見は、閉じ師としての心構えのように聞こえるセリフでした。が、本当は別の意味があったのかもしれない。もし、閉じ師が『見える』仕事としてあったなら、彼らが失敗したと思われる過去の大震災はすべて『大人災』になりうる。日本の震災に対して、劇中の少なすぎる閉じ師。確認できるのは、草太と彼の祖父のみ。主人公の鈴芽はあくまで部外者で見えるだけ。そして祖父が鈴芽に真っ先に聞いたのは、草太が「しくじったのか」という閉じ師としてのことのみ。それが要石になることに対して、いずれはと、最初から思っていたならば、物語のあらすじはかなり切実になる。

閉じ師の草太は現役閉じ師としての最後の一人。そして九州の要石が限界を迎えている可能性ある。次の日には人生をかけた試験があるが、それを受けられるかは要石の状況による。最悪の場合は、己が命を賭して要石の役目を引き受けなければならない。いずれこういう日が来ることがわかっていた草太には、この現世に未練はもたないようにしてきたのだった。という状況から、一日でも長く生きながらえたいと、祈り願って現世に戻ってきたというラストに繋がるのではなかろうか。

閉じ師の失敗は大震災に繋がる。しかし、それは言い換えれば、失敗したことによる人災なのだ。人々は防ぎようがないからこそ、大自然によるものだからこそ堪え忍ぶことができるのだ。それは誰かのせいではなく、人々が自然とともに生きているからこそ、仕方がないのだと再認識するから堪えられる。しかしだ、それが誰かの力及ばずによる失敗による被災だとしたら? その怒りはどこに向くであろうか。当然、閉じ師だ。吊し上げになるだろう。今の世なら国会に証人喚問されるだろうし、過去ならば良くて村八分、最悪は集団の怒りに殺されるだろう。

そうなってくると、やはり「大事な仕事は、人からは見えないほうがいいんだ」というセリフは意味が変わってくる。そもそもが滅びを迎えている閉じ師だ。日本のすべての震災を事前に防ぐのは不可能だろう。その証拠のように、この劇中世界にも東日本大地震は起こっていた。少なくとも3月11日に鈴芽の母親は震災で亡くなったのだろう。ここで不思議なのは、それが防げたことなのでは? と気づくことができた鈴芽が草太に一言も問わないことだ。責めないにしても、どうして防げなかったのか、と問いたくなるものだと思う。

劇中から約十年前となると、草太ではなく先代の仕事だろう。彼の両親はどこだろうか。彼の祖父のあの寝たきりは何を意味するのか。語られてはいないが、少なくともあの状況で助けに来ないことを考えると、閉じ師の能力がないか、もしくは閉じ師として殉職したのだろう。東日本大震災により両親を亡くしたか、祖父があの状態になった原因か。少なくとも、草太は最後の閉じ師だろうと思われる。東京にあの大きなものが出てきて、誰一人気づく様子がない。誰一人、他の閉じ師が助けに来ないことを考えると、やはり最後の一人だろうと思う。

そうすると、消えゆくからこそこれからは防ぎようがないから、それぞれが立ち向かわなければならない。誰かに任せっぱなしにして、自分たちだけ平和を享受していてはいけない。というのは、前作『天気の子』に繋がるテーマだ。誰か一人を犠牲にしないと守れないものなら滅んでしまえ、という怒りが前作ならば、今作は全ての犠牲を乗り越えて一日でも長く生きられるよう最善を尽くそうと、鑑賞者も巻き込んで訴えてくるものとなっていると感じた。

前々作『君の名は。』はこうであってほしかったという願望を、前作『天気の子』はある種のセカイ系へのアンチテーゼでもあるが、大災害は誰かに押し付けるものではなく皆で乗り越えなければならないんだ、という強い意志を感じた。そして今作は、なぜか閉じ師という一見すれば彼らの失敗=大震災=人災ではないか、というもやもやが残るものを持ってきた。しかし、前々作と前作を踏まえると込められたテーマが違って見えてくる。大震災は防げるものもあったかもしれない、しかし、それらを踏まえてでも誰かのせいにするのではなく乗り越えていかなければならないのだ、という力強さを私は感じられた。

当然、この世界には閉じ師というものはない。この大震災=人災というのは、政治家などの行政であるし、もっとも込められているのは、福島原発事故に対してであろうと思う。色々な検証を見るに、原発への津波対策を怠っていたとか、東電の初期対応の拙さ、当時の民主党政権の後手後手対応や、スーパー堤防計画を事業仕分けで潰したことによる被害地域の拡大などなど、いろいろあれど、彼らを選んだのは主権者たる国民なので全員で背負い乗り越え、教訓にしていかなければならない。それをお前らのせいだ、と吊し上げにして処刑したとしても、未来には繋がらない。すべての原発を止めようとも福島原発事故は消えない。今ある最善を尽くさなければならない、というようなメッセージが東日本大地震以後、大量に増えて吐き気がするレベルのお説教映画が乱立するなか、それをあえて語らず、含みとして娯楽作品として今作があることに、新海誠作品を『ほしのこえ』から追ってきた者としては、言葉にするのが難しいくらいの喜びを感じました。

今作への考察をいろいろ検索して見るに、まあ概ねなるほどとなるものの、あまり閉じ師の映画的な裏読みしての役割が見られなかったので、個人的に拙くはありますが考察してみました。他の方のレビューでの低評価となるのが、閉じ師の失敗=大震災=人災になってしまうのでは、という問いに対するものだろうと感じます。今作はあくまで鈴芽と環の親子の話。そしてそれがまだ終わっていない被災者の回復への道のり、そして裏テーマとしての閉じ師という、東日本大地震を語る上で避けられない原発事故への人災に対するものも描かれていて、個人的に東日本大地震以後の映画として、これほどしっかりと込めながら娯楽作品として、今後も残るような映画に仕上げているのは稀に感じました。新海誠作品の東日本大地震以後の三作品の集大成として、満足いたしました。私はタイトルが出るまでの流れが特に好みでした。これ以降、どんな映画ができるのか、今から楽しみです。
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