テロメア

カーネルパニックのテロメアのレビュー・感想・評価

カーネルパニック(2016年製作の映画)
1.0
久しぶりにひでぇ映画を観た。

SF、過去と未来の東京。とかいう文字だけで観たが、うん、酷い。何が酷いかというと、薄っぺらいんだよなぁ。そのひと言に尽きる。当時のネトウヨと揶揄されたものが、なんていうか、テレビ番組の妄想で作られたようなキャラクターが主人公なのがねえ。テレビの妄想上のいかにもなオタク(二次元エロでしこるしこるしこる! しかし、それがイラストだったりフィギュアだったり、よくわからんオタクっぽい何か。二次元エロってもっと他にしこりやすいのあるだろうに、と)、だけど風俗嬢を呼んでファックもします。だけどなぜか、先程のオタク的なのとは関係なく、軍服、のちに右派的な雑誌記者だとか出てくる(天皇陛下ばんざーい、とか言いながらファックするってなんじゃそれな珍シーンあり)。で、プラモも作ります。って、90分映画でそんな多様性は要らんよ。混乱するだけ、しかもどうでもいい情報で。

で、物語は未来らしいヘンテコワールドとブロックノイズで切り替えて繋げたりして、現代的な主人公はオタクっぽい描写もなく、また帝国軍人オタっぽくもなく、すべてにおいて薄っぺらい主人公が唯一情熱的に取り組むのは、嫉妬や逆恨みについてのみ。それが凶行をするだけの話。

しかし、もっとそれより薄っぺらいのが未来描写。コントのセットのような未来描写にうへーっとなりました。で、なんかガイノイドが自我的なのを持ったー的な描写と、カーネル(kernel)=ざっくり調べるにOS内の決定機関的なやつがパニック起こした、ある意味で自我の獲得的なタイトルなのか? まったく本筋に関係ないが、と思ったらカーネル(colonel)=大佐で、それがパニックを起こしただけ、と。あのコスプレは大佐のつもりだったのか、と。

つまり、これは薄っぺらい主人公が書いた小説、ないしは妄想による未来描写であると。それっぽい描写はノイズが音声に入るときは、自分に都合の悪いところだったり(上司の自分に対する言及)、未来描写では都合よく二人並んでいたり、未来では賞賛される凄腕であるなど。それゆえに、未来描写が薄っぺらいのなら納得な出来。だけど、それならそれ以上に問題になってくるのは、周りの描写。

主人公が薄っぺらいゆえにこうなったという演出をするなら、周りの人間はリアリティがなければならない。冒頭のあのインタビューはなんだったのか、AI的なのにシミュレーションさせるなら100回1000回は軽くさせなって。10回って、とか。人間でもそれくらい書き直すって。主人公が務める右派系雑誌の職場とか、インタビュー先の教授っぽい人とか、全部薄い。主人公が見ないよう聞かないようにしていようとも、いろいろ演出できたろうに。

ただ、全部が浅いし薄っぺらいが、ゴア描写は邦画離れしたものだなぁ(一昔前では)、と思ったら監督が日本の方ではなかったようだ。なら、なんで日本で撮ったのか。同じ題材で薄っぺらい主人公が薄っぺらいSF妄想とともに凶行をする映画なら、勝手のわかる本国で撮った方がもっと面白くできたろうに、と思った。主人公の空っぽさや嘘くささ、総じて薄っぺらいとなるには、空っぽの虚無性や発言の嘘くささというものが欲しいがそれもない。主人公はオタクでもないし、ネトウヨでもないし、ましてや尊皇主義者でもない。ほらほら、それっぽいだろう? と、テレビが再現映像で作ったような要素っぽいもののパッチワークでしかない。

今作の問題点は、薄っぺらい人間を作ろうとして作ったのではなく、作り手の認識が薄っぺらいことが問題なのだろう。凶行時の描写だけが唯一リアリティを感じた。こんだけ想っているのに報われない、と嘆くほど想っている様子もないし、そもそも愛国心があったとして、国と両想いにはならんよ。そして他者に対してもそう。想った自分的情熱だけ報われなければならない、とかストーカーそのもの。そこらはリアリティがあったかな。でも、それだけ。それ系の良作は溢れている。総じて薄っぺらいので、レビューもこんな薄っぺらいものでご勘弁を。
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