yoko

ミークス・カットオフのyokoのレビュー・感想・評価

ミークス・カットオフ(2010年製作の映画)
4.2
ジャケットのようなイカした場面を期待しないように

画面のサイズがたぶん4:3くらいでワイドになれているとかなり四角い感じ。西部劇リスペクトというよりは閉塞感の演出だろう。

普通ならパノラマで広大な荒野を撮って、ポツンとちっぽけなアタシ、みたいに描写するがそうしないのが素晴らしい。

荒野に似合わない鳥籠も同様にそのようなモチーフで、サイドの黒い部分が檻のように感じてくる。

そしてケリーなら自然をイカした引きで取りそうなものだが寄りの描写が多い。画面が圧迫されて荒野の開放感がない。

案内人のミークに疑心暗鬼、嘘をついているのでは〜みたいなあらすじ紹介にはなってるが、どう考えても無能マッチョなので騙すという悪意、や犯罪的な意味はない。ただ間違いそれを訂正できない、勇ましい風の男を揶揄しているだけだ。

インディアンも仲間と襲撃〜とあるが彼らからすれば地の利があるわけでやろうと思うならいつでもやれてるはず、そもそも襲う気があるなら彼らに捕まるとは思えないのでまあその気は最初からないのは伝わる。だからそういうサスペンスではないのだ。

チミたち映画オタクは西部劇とかで心躍らせてるけど、裏では女子供が犠牲になってますよ。という「男」の「勇ましさ」を批判した映画だ。なぜかウクライナに肩入れし、血の一滴まで出し尽くしても戦うのだとウクライナ人に強制し、でないと蹂躙される!キリッ。と息巻いてるわたし達だ。セデックバレで勇ましさに酔って突撃するあいつらだ。女子供は勇ましさに巻き込まれるだけだ。

思い出したのがwoman talkingあれが素晴らしいのは戦わず、逃げるという決断をしたこと。あそこで戦えば映画的なカタルシスはあってもメッセージ性はゼロだ。玉砕だけが決断ではないのだ。もっというなら何もしないことも決断である。熟考に熟考を重ねtalking した結果逃げるという素晴らしい行為。これこそ男に勝る部分である。ここまでやってきたから、今更引き返せないから、今まで準備してきたのが無駄になるから〜どこかで聞いた話である。

人物が移動するシーンは右から左へのショットで撮られる。西へ、西部へという物理的な方向性もあると思うが、これにも私は閉塞感というか、動きのバリエーションが少ないからというより単純にネガティヴさを感じる。左から右へのほうがポジティブさを感じるのだがどうだろうか?

憂鬱な左への横移動をだらだら繰り返したあげく最後インディアンは中央にまっすぐ消えていく。最後はどうなったのとサスペンス的なオチを期待してる人もいるみたいだが、陰鬱さを突破し、まっすぐ中央に進んでいくインディアンにカタルシスを感じるならハッピーエンドである。
yoko

yoko