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ノー・ホーム・ムーヴィーのshabadabaのレビュー・感想・評価

ノー・ホーム・ムーヴィー(2015年製作の映画)
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アケルマンの映画では、常に母との距離が一つのメインテーマに据えられている。スカイプを通じて母とビデオ通話する場面で、母親になんで撮っているのかと聞かれたアケルマンは「世界に距離なんてないってことを示すためよ」と言ってのけるが、カメラがパソコンの画面へ近づいていくと、それはもはや母親ではなくノイズと電気信号の粒へと変わっていってしまう。キスすることも抱きしめることもできず、近いにも関わらず無限の距離がそこには存在している。ホロコーストのサバイバーであるが、それについて語ろうとしない母親からアケルマンはなんとか話を引き出そうとするが、上手くいかない。母もアケルマンに対して、何も話してくれない、と文句をいう。コミュニケーションは常に断絶されたまま、母親は着実に死へと向かっていく。このコミュニケーションの不可能性は観客とスクリーンの関係にも敷衍されていく。結局、我々も何かを知りたいと思って画面を見つめてもそれに近づいて見えてくるのは、ピクセルの集合体に過ぎない。母親がいなくなった家には耐え難い空虚だけが充満している。
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