shabadaba

アクエリアスのshabadabaのネタバレレビュー・内容・結末

アクエリアス(2016年製作の映画)
-

このレビューはネタバレを含みます

『バクラウ』が全然近くの映画館で上映されないため、憂さ晴らし代わりにネトフリで駆け込み拝見。若干、冗長な感じは否めないが面白い。最後の最後で、身体=家=国家、ガン=白蟻=資本というメタファーへと一気に収斂する脚本の秀逸さはさることながら、演出や的確なカット割が素晴らしい。

陽気で穏やかな閉鎖空間に悪が闖入してくるというメロドラマ的構造を不気味に反転させる手法はデヴィッド・リンチに負うところが多いだろう。ラストの蟻が、『ブルー・ベルベット』を想起させるのは言うまでもないが、リンチがメロドラマ的構造をシュルレアリスムへと拡大させるのに対し、本作はあくまでリアリズムとシュルレアリスムの狭間に留まろうとしている。クララが夜にマンションへ戻ると、マンションの上階から白いベールが垂れている。直後、クララが部屋で踊るシーンに合わせて、窓の外をこの蠱惑的なベールが緩やかに落下していく。このシーンは幻想性に満ちており、現実の出来事ではないような印象を齎すが、場面が切り替わり、朝になるとそのベールはだらしなく、車に掛かっており、一瞬垣間見えた超現実性はすぐさま現実へと引き戻される。

映画後半になると、原因が不明瞭な「不気味」がクララを覆い始める。この「不気味」は因果関係のプロセスに収まらないという点で映画的なリアリティから外れているが、かといって全く現実的でないわけではない。だからこそ、どこかシュールでありながら現実との繋がりが担保されており、それ故に社会批判として機能することができる。あまり関係ないが、ダーレン・アロノフスキーの『マザー!』は相当影響受けてるのでは…?
shabadaba

shabadaba