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ライトハウスのshabadabaのレビュー・感想・評価

ライトハウス(2019年製作の映画)
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久々のレビュー。最近、アリ・アスターはじめインディーホラー系の躍進が凄まじいが、映画そのものに対して自己言及的であるという点で、本作のロバート・エガースと、デヴィッド・ロウリー、デヴィッド・ロバート・ミッチェルの三人は恐らく図抜けている。

映画は一応、19世紀末、リュミエール兄弟のシネマトグラフによって誕生したとされているが、実際には、18世紀の段階で既に映画の誕生は予告されている。映画の前段階的なものとしてよく挙げられるのはキネトスコープだが、それよりさらに前から存在していたものとして幻灯機がある。幻灯機は、いわゆるスライド映写機の走りだが、18世紀になるとイメージを動かすことが出来るようになり、ファンタスマゴリーと呼ばれる降霊術的なショーが開かれることになる。つまり、映画にはそもそも霊的なものが歴史的に胚胎しているのだ。

本作も前作『ウィッチ』も登場人物たちの抗争は誰が映画的人物たり得るのかのゲームとして提示される。本作のラストと『ウィッチ』のラストを比較すると見事に対になってることが明らかになってくるだろう。『ウィッチ』の主人公は中心にある光(焚火)を取り囲むイメージ、あるいは影に参画することでゲームの勝者となりえるが、本作の主人公は光が生み出す影に魅了された挙句、影になるのではなく光そのものへと突入してしまい、敗者となる。本作はドイツ表現主義的というよりエプスタイン的、つまり、アニミズム的である。灯台の光は山や海にも生命を与える命の源泉となるが、その足元、つまり、光の当たらない場にいる主人公たちには死の匂いが充満している。主人公は生を渇望して、光へ到達しようとするが、光に照らされる為にはあくまで距離が必要であり、その距離を保てないが為に主人公を悲劇が襲うのだ。
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