やっぱりカルカン

生きるのやっぱりカルカンのネタバレレビュー・内容・結末

生きる(1952年製作の映画)
3.8

このレビューはネタバレを含みます

NHK 1月8日(月・祝)[総合]午後1:05〜15:30 スタンダードサイズ、モノクロ、143分、ノーカット放送を視聴しました。
カズオ・イシグロ脚本のハリウッドリメイク版を宣伝だけ見て、へぇ〜こんな元ネタがあったのか。機会があったら見てみたいなと思っていたので放送されてとても嬉しかったです。

自分は言いたいことをハッキリ言わないと気が済まない性格なので特に前半、オドオドして自分の意見をズバッと言わない主人公にイライラした所もありました。また所々冗長に感じるシーンもありましたが、全体的には良かったですし2時間25分が体感で1時間45分ぐらいに感じました。驚いたのは主人公が死ぬタイミングです。「あと1時間もあるのにここで死ぬのか」と思いましたが、そのあとの展開こそが本編と言っても過言ではないぐらいドラマチックでした。(似たような構成で仲代達矢のハチ公物語を見た時にも全く同じことを思った)

最初の方に出てきた小説家と、最後の方に出てきたヤクザの親分が同一人物かと勘違いしたのですが、調べたら別の方でした。
・小説家:伊藤雄之助
・ヤクザの親分:宮口精二
ヤクザのシーンはお互いセリフなしで表情の演技だけなんですが、心の中で
「あの時の小説家!」
「あの時の胃がん!」
「まさかこんなところで再会するとは」
「うむ、最早何も言うまい」
みたいな会話が目だけで交わされたものと勝手に想像した(お恥ずかしい)のですが、普通に病死を目前にした主人公の覚悟と気迫を察してヤクザが退いただけでしたね。

序盤も勝手な思い込みで「きっと医者の言う“軽い胃潰瘍”が本当で、主人公は胃がんではありませんでした」ってオチでしょ。と思っていたのですが、そう思わせないために医者と看護師が「あの患者はもって半年」みたいなやり取りが設けてあったり、ストーリーは分かりやすく親切でした。
この映画の公開は1952年。原爆投下が1945年の出来事で、1950年に朝鮮戦争が始まり、日本は好景気となって経済が活性化しました。そんな昭和初期の暮らしは今見るとまるで異世界のようです。病院で医者が胃がんの患者本人に「軽い胃潰瘍ですよ」と嘘をついて帰すなんて、真実告知の概念もまだなかったのかな?と衝撃を受けました。
※物語の舞台は何年なのかはっきりしませんが、公開当時とほぼ同じものと考えました。息子の光男が学生服を着て列車に乗って出兵する?のを父が見送る回想シーンがありましたが、集団就職かもしれないので何とも言えないです。

途中、ハッピーバースデーの歌に合わせて階段を駆け上がってくる若い女学生(これから明るい人生が待っている)と階段を駆け降りていく中年男性(余命いくばくもない主人公)の対比が素晴らしかったです。歌は長すぎてしつこかったけど…

他にも革新的なカメラワークや印象的な光と影など巨匠・黒澤明の演出が随所に見られましたが、色んな作品で模倣されすぎてなんだか既視感(というかモノによってはベタにすら感じてしまう)の嵐だったような気がします。もちろんこちらがオリジナルだと思うので、世界のクロサワの偉大さを感じるとともに「もっと早く観れたらより最大限に作品の良さを体感できたかも」と少し悲しくなりました。主にこの理由から、少し点数は低めにしました。

着膨れしてるのもあるかもしれないですが、主人公がもうすぐ死ぬとは思えないぐらい恰幅がいいと感じました。しかし、あとで見たWikipediaによるとあれでも痩せてた方だったみたいで驚きました。
> 主演の志村喬は、撮影に入る前に盲腸の手術をして痩せていたが、黒澤に役柄としてそれくらい痩せていた方がよいから太らないように求められたため、志村はサウナに行って減量したという

残念ながらお名前が分かるキャストは
陳情のおかみ:菅井きん
だけでしたが、菅井きんさんってすごい人だったんだなぁと改めて思いました。
見終わった後はスッキリ爽やかとはいきませんが、考えさせられるラストです。死を自覚して初めから前向きに生きるのではなく、一旦迷走するのが滑稽でありつつもリアルでしたね。テレビ放送されていたらまた見たい、名作だと思いました。