タロ

出逢った頃の君でいてのタロのネタバレレビュー・内容・結末

出逢った頃の君でいて(1994年製作のドラマ)
3.8

このレビューはネタバレを含みます

いわゆる、不倫の話で、賛否はあると思いますが、当時は夢中でドラマを見ていました。
不倫をする娘の母役で、加賀まりこさんが出演されていて、中原中也さんの「春日狂想」の詩を引用するシーンがあり、心に残りました。

愛するものが死んだ時には、
自殺しなけあなりません。
愛するものが死んだ時には、
それより他に、方法がない。
けれどもそれでも、業(ごふ)(?)が深くて、
なほもながらふことともなつたら、
奉仕の気持に、なることなんです。
奉仕の気持に、なることなんです。
愛するものは、死んだのですから、
たしかにそれは、死んだのですから、
もはやどうにも、ならぬのですから、
そのもののために、そのもののために、
奉仕の気持に、ならなけあならない。
奉仕の気持に、ならなけあならない。


全部、言われた訳ではないのですが、当時、こんな詩があるんだ、って心に残って、時々、思い出します。

何がよくて、何が悪いのかって、側から見て、そこだけ切り取れば明確なのかもしれないけれど、当事者にしてみたら、それぞれの立場でいろいろな思いがあって、圭介(子供のお父さん)なんてひどく真っ当な立派な人なんだけど、でも、結局大人のゴタゴタに巻き込まれる子供はただただ可哀想だな、って、今は思います。

お母さんの印象深い台詞です。

『僕はいつでも、出逢った頃のままでいるナナさんが好きです』って
いつも一生懸命で、いつもひたむきで、いつも明るいナナは出逢った頃と何らかわらないって
そういうナナが好きだって
言ったのよ、圭介さん

純愛ラプソディ、が、やっぱり名曲で、まりやさんは凄いなー
タロ

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