manac

シュヴァリエのmanacのレビュー・感想・評価

シュヴァリエ(2022年製作の映画)
3.5
18世紀に実在したジョゼフ・ブローニュ・シュヴァリエ・ド・サン=ジョルジュの伝記的映画。全く覚えられる自信のない長ったらしい名前。
黒人奴隷の母を持ち黒い肌を持ちながらも、その高い音楽の才能でフランスの音楽会を上り詰めていった驚異の黒人男性。
国王夫妻の寵愛を得ていたのは事実だろうが、彼の資料はナポレオンの奴隷制度復活の際に多くが破棄されている。彼が注目されるようになったのはここ10年20年の話である。
資料が殆どないことから、本作でのエピソードの多くはフィクションであると思われる。

モーツァルトのヴァイオリン協奏曲第3番で始まる冒頭。宮廷音楽はどれも同じに聴こえるが、まぁ多分これ。
鑑賞するこちらもすっかりフランス貴族気分になったところで、ジョゼフ登場。
なんと彼は舞台上のモーツァルトに曲のリクエストをした挙句に、ヴァイオリンバトルを仕掛ける。
これがカッコイイのなんの。
ちょっとNYの地下鉄サックスバトルを思い出した。
(車内で偶然出会った二人のサックス奏者が演奏バトルを始め、他乗客も大盛り上がりをしている映像がYoutubeにある。「ニューヨーク」「地下鉄」「サックスバトル」辺りで検索すると出てくる)
残念ながらNYバトルとは異なり、本作のモーツァルトはこちらにたいそう気を悪くされ、舞台を降りてしまった。
モーツァルトを演じるのはJoseph Prowen。聞いたことないですね。イギリスで活躍する俳優兼演奏者らしい。ほほー。では劇中の演奏も役者本人が行っているんでしょうか。
彼の演技力が秀逸。
突如現れた謎の黒人が一緒に演奏をと言い出した際は「なんだこの黒人w恥をかかせてやれw」くらいの気持ちで受け入れるが、謎の黒人がヴァイオリンを奏で始めるとすぐに彼の才能に気づく。
あら?なかなかやるじゃんコイツ→けっこう上手くね?でもオレ程じゃないだろ?→え、ちょ!オレの本気を見せてやる!→えー…超上手い…→誰だコイツ!許せねえ!!
とモーツァルトの心情が手に取るように分かる見事な演技力。
一般的に知られる、幼いころから天才ともてはやされ自意識高く破天荒なモーツァルトのイメージにもピッタリであった。
このエピソードは完全なる創作であろう。幼少期にアントアネットにプロポーズしたなんて言うささやかなエピソードまで後世に残るモーツァルトがそんな激しい演奏バトルを即興で行ったのなら語り継がれるだろうが、聞いたことがない。
フィクションであったとしても冒頭のこの数分で観客は十分にジョゼフの才能を理解するので、彼の才能を語るには最適なシーンであったろう。
彼の才能が理解できたところでもうストーリー上モーツァルトはいらないわけだが、モーツァルトを演じるには少々イケメンすぎるものの、魅力的なJoseph Prowenがもう出てこないのは残念。

その後は彼の幼少期から青年期までを駆け足で描き、如何に彼が類い稀なる才能を持って生まれた男であるかが分かる。
音楽だけでなくフェンシングもお得意だった模様。
マリー・アントワネットのお気に入りとなり、その関係はかなり親しそう。しかもオルレアン公ともまるで親友のように親しくしていた。
どこまでが史実なのか疑わしい。
そこまでアントワネットと親しかったらどこかで記録なり伝聞なりが残りそうなものだけれど、アントワネットの黒人の取り巻きなんて聞いたことありませんよ。池田理代子先生のベルばらにもそんな人出てきませんでした。
オルレアン公はアントワネットとは敵対関係であったので、双方と仲が良いというのも不自然。
事実ならオルレアン公に放たれたスパイと疑われそうだ。
かなりの部分がフィクションであろう。

フランス貴族社会で成功を収めた彼はそれでもまだ高みを目指し続け、おまけに人妻と恋に落ちる。
この人妻マリー・ジョセフィーヌを演じるサマラ・ウィーヴィングの美しさと言ったら言葉には尽くせぬほど。ため息の出るほどの美しさに、彼女を拝むためだけでも鑑賞の価値があったと思えるほど。
知らない女優だっがた『スリー・ビルボード』の元旦那のアホな恋人役だった。確かに綺麗な子ではあったが、ここまで美しく化けるとは恐るべし。
サマラは美しかったが、ジョセフィーヌは全く魅力のないキャラクターであった。
歳の離れた侯爵の元へ嫁ぎ裕福な暮らしをしつつも籠の鳥でいることに不満を持つ女性ジョセフィーヌ。
自由と権利を求め自立した女を目指しているのかと思いきや、ただの金持ちお嬢様の気まぐれであった。
女性が自由を求めることは時代的に難しかったのだから、彼女が特別愚かな女性であったとまでは思わない。
けれど、中世においても自立し努力する女性はいた。
『緋文字』のへスターは人妻でありながら恋人との間に設けた生まれてくる子供と恋人の為に激しい罰を一人耐え抜き決して恋人の名を明かさなかった。映画化された『スカーレット・レター』のへスター役デミ・ムーアはへスターの苦悩を見事に表現していた。
『レ・ミゼラブル』のファンティーヌは賢婦ではなかったが、娘の為に必死に働いた。
スコットランドのメアリー女王はスキャンダラスな生涯ではあったが、処刑されてもなおカトリックを信仰し決して自身の権利を曲げなかった。
ジャンヌ・ダルクは小さな村の小娘でありながら、フランス軍を率いるまでになった。
いずれも自ら選んだ道、そうせざるを得なかった生き方と様々ではあるが、魅力的なヒロインとは出自や知性や教養ではなく、やはり確固たる意志を貫く女性ではなかろうか。
ジョセフィーヌは『華麗なるギャツビー』のデイジータイプだ。
白馬の王子様との胸を焦がすような大恋愛をするヒロインに憧れはするものの、決して自分は安全圏からは出ない。
デイジーが最終的には恋人を捨て夫のもとに戻ったように、ジョセフィーヌも最終的には夫の元へ戻る。
口ではジョゼフを守るためとは言っていたが、ジョゼフとの茨の道を歩む度量は彼女にはなかったのだろう。
ジョセフィーヌはジョゼフの子を身ごもるが、出産するその時までそのことを誰にも言わず何もしなかった。
黒い肌の子供が生まれてきて、当然侯爵はご立腹である。
彼女の出産シーンは描かれていなかったが、カットされたのか最初からなかったのか。できれば見たかったものである。
芸術嫌いで女性や人種に対して差別的で尊大な侯爵。彼はジョゼフのことを黒人奴隷風情がオペラに現を抜かし宮廷でちょっと珍しいからと持て囃されてるだけなのをいい気になって調子に乗っているとでも思っていたはずだ。
その黒人奴隷風情に妻を寝取られるとは、侯爵は地団駄踏んで怒り狂ったに違いない。
ジョセフィーヌの子供は侯爵に取り上げられてしまう。
ジョゼフと手に手を取って逃避行できないなら、替え玉くらい用意しておいてほしかったものだ。
ジョセフィーヌはお腹の子が誰の子か察していたはずだが、ひょっとしたら侯爵の子かもしれないとあり得ないことを期待してひたすら祈ることしかできない女性だったのだろう。
美しい籠の鳥になるよう育てられ、思考することをしない知性のかけらもない女性に成長した彼女は、無知ゆえに心無い言葉を口にすればすぐにその非を詫びることができる愛らしい理想の籠の鳥ではあったが、21世紀のヒロインとしては物足りない。

ジョセフィーヌが愚者として描かれているため、対比的にマリー・アントワネットが誇り高く気高い女性に見えるマジック。
演じるルーシー・ボーイントンは『ほの蒼き瞳』でリアを演じていた。同じコスチュームものでも本作ではぐっと気品が増しているのはさすが女優。フランス王妃を演じるにふさわしい。
時はフランス革命目前。もう夜遊びに明け暮れて「赤字夫人」の称号を持った「パンがなければお菓子を食べればいいじゃない」のアントワネット様ではないのだ。威厳も必要だ。
アントワネットに見切りをつけ人権保護活動の為に演奏会を開こうとするジョゼフにアントワネットが中止を命じるシーンがある。
実際には間もなく彼女の転落人生が始まるので状況を分かっていないのは彼女の方なのだが、毅然とした態度は美しかった。


登場人物それぞれに合わせた衣装やメイクも華やかで素晴らしい。
一般的に肌の色が濃くなるほど似合う色は原色に近づいていくわけだが、何を思ったか黒人のジョゼフにパステルカラーの衣装を着せている。
これが意外に似合ってるから驚き。
光沢のあるサテン生地を用いているため明るく見えるが、よく見るとパウダーブルーやアクアグリーン等のややグレー味を帯びた色のジャケットで、ベストにはシルバーやグレーを合わせているから馴染むのだろう。
人生の絶頂期は明るいカラーの衣装だが、転落が始まるとキャメルやオリーブグリーン等の濃い色の衣装になる。子供のころのカラーもこちらであった。強い光沢のあるサテン生地からベルベッドやコーディロイ等の落ち着いた生地に代わっている。
素材や質感で彼の人生の状態が表されている。
ジョゼフが恋するジョセフィーヌのドレスは光沢のある柔らかいイエローやピーチピンクのオーガンジーを使った清楚なドレス。サーモンピンクとターコイズブルーのサテン生地のドレスはとてもよく似合っていた。
アクセサリーもシンプルにまとめていて彼女の可憐さが引き立つ。
ジョゼフと敵対するミニー・ドライバー演じるオペラ歌手ラ・ギマールはボルドーやバーガンディカラーの濃い色のドレス。パールのネックレスにしてもジョセフィーヌは一連で使っているところをラ・ギマールは三連にしてトップもつけている。大御所女優の貫禄にあふれている。
そういえば彼女『オペラ座の怪人』でもオペラ歌手役でしたね。我儘なトップ女優の役どころが本作とも被るが、まだオペラ座の方が可愛げはあった。
最も美しいのはやはりマリー・アントワネット。セルリアンブルーやベビーブルー等のブルー系のドレスが目を引く。柔らかいカラーが多いが、金糸の刺繡が施されていたり派手な髪飾りやピアス、ネックレス等でジョセフィーヌとは全く印象の異なる華やかさがある。
登場人物全てに個性を持たせそれぞれに似合った衣装を合わせているので、衣装を眺めているだけでも楽しい。
衣装担当はオリバー・ガルシア。
まだあまりその名を聞くことは少なかったが、彼は『恋におちたシェイクスピア』や『ブーリン家の姉妹』の衣装デザインを務めたサンディ・パウエルのアシスタントをしていた。
彼の次回作が楽しみ。
一つ気になるのが、色遣いが黄味の強いものが多くないか?彼、イエローベースなの??


さて、音楽家の自伝的映画ともなれば最も大切なのは音楽であろう。
上流貴族社会に身を置いていたジョゼフに相応しく、華やかなクラシック音楽が多くどれも心地よかった。
貴族好みの華やかなオペラや宮廷音楽ばかりを作っていたジョゼフだが、ラストには人権保護の為に戦う決意をし、活動の資金調達手段として演奏会を開く。
この演奏会の為に作った曲は今までとは一線を画す曲調だった。
この曲は彼の母親が幼いころに歌い聞かせてくれたメロディで、入学の際は学長の前でこの曲をヴァイオリンで奏で入学を手にした。
彼にとっては非常に思い入れの深い曲で、彼のルーツともいえる曲だ。
哀愁漂う繊細な旋律の後にドラムロールが続き力強さをも感じる。まさに彼のアイデンティティを象徴する曲。
エンドロールで目を皿のようにして探したけれど見つからず、5回くらいエンドロール見直しましたよ。
見つからないのも道理です。だって

Written by Michael Abels

って書いてあったんだよ。
ジョゼフの曲じゃないのかよ!
『エネミーライン ドイツ軍大包囲網からの脱出』以来の衝撃エンドロール。
「まさに彼のアイデンティティ」まで思ってしまった私のこの気持ちをどうしてくれる。
もしかしたら音楽に造詣の深い人だったらこの曲を聴いただけで当時の曲らしくないなとかは思ったのかもしれないけれど、そんなの素人の私にはさっぱり分かりませんでしたよ。
ないのね?ジョゼフが作ったフランス革命の為の曲はないのね?この演奏会もフィクションね?
あったかもしれないけれどナポレオンに消されちゃったとか?
「スコアがないなら自分で作ればいいじゃない」でオリジナル作っちゃったのね?
エンドロールにはなんかかっこ書きで「この曲の一部はジョセフの曲の要素を含む」見たなことが書いてあったけどさー。一部ってどこよ?全然わからないんだけど。もう完全オリジナルでしょ。
曲名はSinfonie Liverte Part 1 & 2というらしいですよ。どこからどこまでがパート1で2なのか。


伝記映画のジャンルになるようだが、伝記というより「実在の人物をモデルとしたフィクション」として鑑賞するべき映画。
たぶん、エピソードの9割がフィクション。
それでも美しい音楽や魅力的な登場人物、衣装や美術も素晴らしく、物語はフランス革命直前で終わっているのでジョゼフの人生の黄金期のみが描かれているので全体的に映像は美しい。
BGVとしても良し。
manac

manac