「人生の真の意味は、死んではじめてわかる」
という冒頭の一言が、インド的だなと思う一方で、
やはり自分とインド人とは相容れないと感じた。
「生きる意味は探すものではなく与えるものだ」というVEフランクルの思想が僕は好きだ。
死なんていう不確かなものに、人生の最大の問いを託すなんて生に対して無責任にもほどがある。
しかし一方で、インド人は皆この考えを信じている。
当たり前のように。
時代的にわずかに別の道を探そうとしている者もいるが、
それを本気で追おうとはしない。当たり前のようなルサンチマンにまみれれている。インドには、こういった社会身分制度と死生観に絶望した人間が何億人といるのだろう。
だがそうだとすると、僕がインドで見た、インド人たちのあの生命力、狡猾さを感じるほどの目の黒い光はなんだったのだろう。
生への執着。それでいて生や死を考えない。「そういうものだ」としてみんなそれ以上踏み込むことはない。どうしてだ。
P.S.
「バラナシ以外で死んだら解脱できない」というセリフも心に残った。
自分があのとき、バラナシまでたどり着いて、そこで野垂れ死んだら、どう感じたのだろうか。