【中東に思いを馳せる】
第二次世界大戦中、ドイツのヒトラーによる「ユダヤ人問題の最終的解決」を実行した人物、ナチスドイツによる犯罪をある意味象徴する人物アドルフ・アイヒマン。1961年5月31日から6月1日の真夜中《イスラエル国家が死刑を行使する唯一の時間》の“6月0日”に絞首刑に処されたあと、さて、その遺体をいかに処分するか?というお話。
ユダヤ教徒とイスラム教徒が9割を占めるイスラエル。どちらの宗教も火葬が禁止されており、この国には火葬設備が存在しない。じゃぁ、土葬? しかしイスラエル政府は、アイヒマンを土葬にして墓ができると、反ユダヤ主義者にとっての聖地になりかねないと危惧する。そこで、跡形もなく「灰にしろ!」と厳命が下る。
この遺体処理の極秘プロジェクトに巻き込まれた町工場の人々と、リビア系移民の少年を軸に物語は展開する。
なかなか面白いイントロ。火葬設備がない、設計図はなんとアウシュビッツで使用されたものを参考にしなければならないという皮肉(トプフ商会作成の小型焼却炉の設計図)、ちょっとしたドタバタコメディとして描かれそうなお話だが、実に暗く重いトーンだったのが意外。いまもユダヤ人の中に強く残るホロコーストの陰影の濃さよというところだろうか。
町工場の人々と移民の少年のエピソード以外に、アイヒマンを監視する護衛官、ホロコーストの生存者で裁判ではアイヒマンを尋問した捜査官のお話がオムニバス的に挿し挟まれ、アイヒマンの処刑までの日々が描かれる。アイヒマン監視業務の緊張感、ホロコースト生存者の悲哀、それらがちょっとしたアクセントではなく、メインの火葬設備作りのお話とほぼほぼ等分に描かれるので、作品全体のトーンも暗くなるというもの。
少しであってもコメディ要素を入れるのは不謹慎という空気があるのかもしれない。歴史の重みと共に、史実を風化させまいという執念をも感じた。
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(ネタバレ含む)
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作品としての面白さは史実の再現っぷりだろう。脚色は当然されているが、アイヒマンがアルゼンチン潜伏中にモサドに拉致されイスラエルに運ばれ、4カ月にわたる裁判の末、極刑に処されたこと(現状イスラエルでの最後の死刑執行)、偶像崇拝されないよう火葬し灰にして領海外に撒かれたという史実が、僅かな史料と関係者へインタビューを元に描写されている。
一番ピリピリ、ヒヤヒヤするのが収監されているアイヒマンを監視する護衛官ハイムのクダリか。獄中で散髪を希望するアイヒマン。床屋のオヤジが変な気を起こさないよう、ハサミを入れる前に「よし」と都度許可を出す慎重さは、法の裁きを受ける前に死んでもらっては(あるいは殺されては)困るという、当局側の並々ならぬ気の使いようだ。
理髪師の人選にも配慮がなされる。ホロコーストの犠牲者の遺族、関係者でないことや、どこの民族かといった会話がなされていたっけね。護衛官ハイムは自らを「俺はごらんの通り、モロッコ系だ」と言う。そうなのか、その顔立ちは、“ご覧のとおり”と言えるくらいに典型的なモロッコ顔なのかと、かの地の震災に思いを馳せつつ拝見していた。
被災者の救出、震災後の復興を心よりお祈りする。
本作の(一応)主人公である少年ダヴィッドはリビア系の移民という設定だ。いろんな国のユダヤ人を受け入れてきたイスラエルだが、彼はアラブ人、というかムスリムなのだろう。父親はヘブライ語ができずまともな職に就けないので、子どもであるダヴィッドが町工場で働くことになる。
最終シークエンスは、時代を現代に移し、発展した大都市(エルサレムだろうか?)の近代的なオフィスビルに、老人となったダヴィッドが現れる。
アイヒマン処刑は極秘プロジェクト故、史料に残されていない。この少年のキャラクターは想像上のものだろうが、それ故に、制作側の思いが託される存在でもあろうかと思う。
彼は火葬炉作りに携わり、操作方法を大人に指示するほど聡明な少年だった。アイヒマンが火葬に処されたという歴史上の事実に自身の名前を刻みたいと希望する。
「僕が歴史に触れ、歴史が僕に触れた」
と、ささやかながら歴史の断片の参画者であったと主張する。当然、受け入れられない。
このラストシーンをどう理解したものか? あくまで極秘プロジェクトとして詳細は表に出さないというイスラエル当局の意志のメタファか、あるいは、ユダヤ人とアラブ人、あるいはムスリムとの確執? 移民との格差が広がるイスラエルの現状の点描か。
今や、イスラエル国籍のパレスチナ人(アラブ人)がイスラエル国籍の人のなかで約20%を占めるという。アラブ系の政党が連立政権に参画する時代だ。ユダヤ系とアラブ系の協力体制の構築がイスラエルの将来を左右することになるだろう。なのに、移民だったダヴィッドは、イスラエルの社会に馴染んで幸せな人生を送ってきたようには見えなかった。
小賢しさもあったが利発な少年が、半世紀を経て、あまりパッとしない身形での登場は、彼の半生を物語る描写か、イスラエルの厳しい現状か?
イスラエルの半世紀、移民問題、中東・北アフリカの諸問題、モロッコの震災、リビアでは大洪水らしいし・・・。いろんなことに思いを馳せる作品だった。