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Renaissance: A Film by Beyoncéのyukiのネタバレレビュー・内容・結末

Renaissance: A Film by Beyoncé(2023年製作の映画)
5.0

このレビューはネタバレを含みます

ビヨンセのファンであることが誇らしい。差別と戦い、弱きを助け、家族や関わる全てのものへの愛を忘れず、自分の短所をも愛し、レジェンドになっても学ぶ姿勢とそれを咀嚼しアウトプットすることを忘れない、完璧な人などいないと言うが、私にとっては99.9%ほとんど完璧な人。
情報過多すぎるので、箇条書きで感想を置いていく。

大好きで感動しっぱなしで常人離れしてて泣いたんだけど、こんなに長いのに1番好きなlove on topが流れず「??????????」になった。でも余分なシーンなんて全くなくて、マザーが発する言葉、関係者の証言、全てがパワーワードで全てがありがたかった。

関わるスタッフ全員が職人。「こんなに多くの女性と仕事するのは初めて」と言って映ったのは、モニターを運んだり電気系統を整備したり、衣装直しをする女性スタッフたち。プロフェッショナルの働きに敬意を表し、尊重してくれる言動やドライバーまでエンドロールに記載してくれる愛に溢れる姿勢はまさにクイーンダム。私もここで働かせてくださいと思った。
こちとら日本でよくあるライブの挨拶の「支えてくださったスタッフの皆さんに拍手〜!」に慣れすぎてて、ケータリングまで!?て思って異様にケータリング出てきたのだけ特に覚えてる。

家族のことを「いつも何か食べてる」って言うの笑った。家族全員いる時もあるけど、子供1人対母1人の時間も作ってて本当に母親としても良い人なんだなと感じた。
相変わらずjay-zがいつも当たり前に横にいるのも良かった。でもライブでは浮気を疑う過去の曲歌われるんだから笑っちゃうよな。大好き。

ビヨンセを見てると、しんどいことが多少あっても人間笑顔で過ごした方が生きてる上でずっと良いなと思う。笑うと幸せホルモンが出るみたいなことを言うが、やっぱりそうなんだと思う。3時間ってかなり長時間で体はバキバキになったけど、ふとステージからファンを眺める姿も、乳歯が抜けきった娘に向ける顔も、ダイアナ・ロスに駆け寄る顔も、全部こちらまで笑顔になってしまっていた。

ビヨンセの親戚のビヤンセさんを映画内で初めて拝見することが出来て、「この人が出生届でスペルミスされた人ね!??」と感慨深かった。

自由であると思っていたことこそが、自由では無かったという発言が哲学的すぎて1回だと理解できなかったのでもう一度ゆっくり教えて欲しい。確かに「自由にしていいよ」と言われると自分で何か制限を儲けてしまったり「自由でいいんだ!」と自分で独自の自由のレッテルを張ってしまうところがあるのは分かる。

時間という檻に囚われ続け、永遠に現在という船で未来へと輸送されていく。みたいな考え方と、これは言い回しもかなりヤバかった。もしかして次元を超えたいとか思っていらっしゃる?
「タイムイズマネーと言うが、過去は買い戻せない、だから過去を悔やむのではなく未来の為に時間を使うべき」はマジでそう!と思った。この映画で1番一般人にも分かりやすく万人のためになる本当にそれと思える発言だったと思う。
同時に、こうやって色んな後ろ指刺された経験から今ここで出る発言なんだろうなと泣いた。前回ホームカミングでの、「女だから成功は程々に、野望は程々に」も過去言われたんだろうなって感じたのを思い出した。

あと強いて言うなら「あらゆるイベントの創設者」とかいう謎ワードが気になった。クリエイターズファイルかよ。
クィア側の出演者の所謂女性言葉を用いた翻訳も気になる。誤植があったとのレビューも見たので、時間の無い中作業したのだろうとは思うが、もし今後配信があるとしたら改善されて欲しい。

honey balenciagaさんのヴォーギングで泣いた。ヴォーギングで泣く日が来るとは思わなかった。話し方も声質も普段の仕草も想像してたまんまで最高だった。
「ハチミツみたいね」って例えたトランスマザーも最高。てかここの翻訳トランスマザーってなってたってことは、彼女がトランスジェンダーだとさりげなく言ってますけどこれ合ってる?ドラァグマザーは聞いた事あるけど、トランスマザーというワードは初めて聞いた。し、どういう立ち位置でマザー?て感じはした。ヴォーギングする人みんなトランスって訳では無いから、そこでの師弟関係をトランス括りにするの謎。ボールルームでそういう呼び方をするのが一般的なら誰か教えてください。

好きな服装で好きな人たちと自由に歌ったり踊ったり楽しめる空間羨ましすぎたー!映画にスパンコールのスカートで挑んだら、後ろの席の人がシルバーのパンツだったのかなり良くて全員こうであれそして発声上映してくれと強く願った。
uniqueとは、日本では一風変わったものに使われやすいが本来は唯一性とかの意味の方が近いと思っていて、そういった意味ではスタッフも観客も私も銀パンツの彼女もunique personであった。私人で、個人だった。みんなきっと次の日の朝には「unique!」と言って目覚めただろう。

最初はなんとなくブラッククィアの祭典ってところが拭いきれなくて、そこに自分がこんなにクソデカ感情を向けてしまって良いものか?と謎の卑屈さ感じていたが、アジア人でも太っていてもトランスでも移民でも地元が嫌いでも妊婦でも皆ビヨンセを慕いそして愛され、彼女と共に支え合ってお互いのコミュニティを讃えており、彼女が「地球人の代表になりたい」と言っていたのを再び思い出した。地球の歴史と更なる発展のための祭典だった。
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