百合

セブン・デイズ・イン・ハバナの百合のレビュー・感想・評価

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ハバナ・クラブ

キューバにはなぜか憧れてしまう。短絡的だとはわかっていながらも。あったかい国、あかるい光、のんびりした街、海、音楽、酒…みたいな。なんでしょうねこの社会主義国家への永遠の憧れ。
オムニバス作品だから物語という物語はないが、こういう作りは力入れなくても見られるので意外に好み。まぁ‘キューバ’の魔力あってこそなところは大きいが。ほんとうに全体を通して色彩と光が綺麗で惚れ惚れした。スレイマンの日とかあの陽光と風景でないと厳しかったかもしれない。逆にプロモーションビデオ的に純粋にキューバの景色を楽しめた。あの近視眼的な光の取り入れ方はかなりいい。強迫的で。
クストリッツァみたいなおじさんいるな〜と思ってたらクストリッツァでした。しかもカメオ出演。アル中で妻とうまくいってないっぽい映画監督の役。「私の映画や人生を良いって言うような奴らに二度と会いたくない!」とダダをこねるシーンには笑ってしまった。言うなよそういうことを…でもあの日がお話としては一番好きでした。ああいうかすかな琴線のふれ合いをサラッと描くのはいいよね。もう絶対に会わないけれど絶対に忘れ去ることもないであろう日。あれはいい。
本作品の大部分に出てくるのは‘車’で、とにかく多くの登場人物が車に乗ってあっちへ行ったりこっちへ行ったりしている。スペインに行くことにする女性歌手は船に乗って出て行くのだが、結局は車も船も‘わたし達はその気になればどこかへ行けるのだ’ということの証のような気がしてくる。道も海もどこかへ繋がっていて、(実際にするかどうかではなく)ここから踏み出せばわたし達はここでないどこかへ行くことができる。その自由のにおいを教えてくれる象徴としての‘車’が大切で、だからポスターもあのデザインなのだ。
社会主義というのは当然みんなで平等に働くというイデオロギーに貫かれいるわけだけど、逆にいうとそれ以上は働けないってことなんだ。独特のこの街の雰囲気はそれに支えられているんだといまさら気づき、愕然とする。つまりいくら豊かになりたくてもそのために頑張ることが可能でない構造。登場人物たちがなんとなく抱える行き場のなさや危うさはここから出るんだと思う。夫が元軍人で妻が精神科医という欧米の映画ならまずまずの上流階級に属しているはずの家族は、キューバでは娘の靴を買うために内緒で副業のケーキ作りに精を出す。停電してしまって泣きながらメレンゲをかき回す姿はとても胸につまされるのがあった。
日曜日にそのケーキを発注した宗教的共同体は、神懸かりのおばあさんの一言でアパートのお粗末な改造をするはめになる。なんとなくみんな無気力だが、なんとなく協力する。ここでは彼らはどこにも行こうとしていない。だって宗教があるのだから。
どこかから訪れたり、どこかへ走り去ったり、ここで身体を動かして生きている人たちを見ていると、生きるってこういうことなのかもしれないとまで思う。どこかへ行ったり行かなかったりなにかを作ったりすること。人生にはきっと取り返しのつかない決断も行動もなくて、なにかを成せることも全然なくて、ただそれが終わるまでゆるく流れ続ける時間。それがひとの生活なのかもしれない。
いい映画体験。
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