山浦国見

科学者ベルの山浦国見のレビュー・感想・評価

科学者ベル(1939年製作の映画)
3.3
1951年2月20日(火)公開

電話を発明したアレクサンダー・グラハム・ベルの伝記映画で、奇を衒わず、堅実に製作されている。ダリル・F・ザナックが自ら製作に携わった1939年度作品で、「ジェーン・エア」のケネス・マクゴワンが共同製作、アーヴィング・カミングスが監督に当たった。レイ・ハリスの原作をラマー・トロッティが脚色、撮影・レオン・シャムロイ、音楽はルイス・シルヴァースという布陣。

ベルをドン・アメチー、その助手ワトソン役をヘンリー・フォンダと言う、当時の20世紀フォックスに於て、タイロン・パワーと並んでトップスターとして活躍していた2人が演じている。

アメチーは、「天国は待ってくれる」のように女たらしな役柄もあるが、どちらかというと生真面目な役のほうが似合うので、本作のような役柄はアメチーの本領発揮といったところ。

助手役のフォンダは、おっとりとした味のある演技で、サポート役に徹している。

ベルの恋人でのちに妻になる女性メイベルをロレッタ・ヤングが演じており、ロレッタは四姉妹のうちの1人という役どころですが、あとの3人をロレッタの実の姉妹が演じている。

ポリー・アン・ヤング(長女)、サリー・ブレーン(次女)、ジョージアナ・ヤング(四女)の揃い踏み。

この四姉妹は、今となっては三女のロレッタだけが突出して目立っている感じがするが、ギッシュ姉妹(リリアン&ドロシー)、ベネット姉妹(コンスタンス&バーバラ&ジョーン)、レイン姉妹(ローラ&ローズマリー&プリシラ)のように、当時は姉妹スターとして有名だった。

終盤、電話の特許をめぐって法廷闘争になり、ベルが訴訟相手よりも先に電話を発明したことを証明しようとして、それについての記載があるベルが書いたメイベル宛てのラブレターを証拠として提出するが、発明の証明にはならないと却下されてしまう。その後、相手側からあっさり和解の話が出るのは少し拍子抜け。
ただ、第二次大戦が勃発した1939年という時節柄、世界の発展のために寄与した自国の偉人を褒め称えようという意図がある作品なので、その趣旨には沿っているのではないかと思う。

この作品内では触れられていないが、実際の電話特許に関しては、エジソン、エリシャ、ベルの、三つ巴の構図であった。

1876年1月、エジソンは電話の設計図を提出していたが、出願内容に不備があったため、受理されなかった。その1か月後、2月15日、エリシャ・グレイが電話の特許予告記載を申請すると事前に情報を得たハバードは、ベルの許可を得ずに特許を申請。同日2時間後にエリシャ・グレイの代理人も手続きに来たが、この差があったため、ベルに特許が与えられた。 そして、本編にあったように、ベルと万博会場で再会したドン・ペドロが賞賛したことがきっかけで、ベルの電話機は注目を浴びることになり、万博で金賞も受賞したものの、実用品としては、注目されていなかった。

商売に使う場合は取引内容など、重要な情報は書面に残しておかなくてはいけないため、当時は電報や郵便が主な連絡手段で、音声通信では替えがきかなかった。また、ウエスタン・ユニオン社に権利を10万ドルで売ると話を持ち掛けたが、そんな「おもちゃ」はいらないと一蹴されてしまう。あくまで、電話は離れた場所にいる人の声が聞こえてくる、不思議な見世物にすぎなかった。 しかし、エジソンによって改良された技術(炭素式マイクロフォン)は電話の実用性を高めるものだった。

これに目を付けたウエスタン・ユニオン社はエジソンの特許を武器に、ベルの電話会社を相手に競争を始めた。ところが、ベル側はエジソンより2週間前に炭素式マイクロフォンに似た技術を特許取得(厳密には、予告記載を出していた。予告記載とは、発明が完成したら特許申請を優先してください。という申請の事)していた技術者を雇い入れ、エジソンの特許の無効を訴えた。

結局、1879年、話し合いをして、「ウエスタン・ユニオン社は電話事業から手を引いて、ベルの会社も電信事業には手を広げない」という取り決めをして纏まった。 

ベルは聾唖者教育に尽力していた。父の発明した視話法以外にも、耳が聞こえない状態での発声の助けとして、音の構造を図で示す機械を発明しようと研究をしていた。母の影響からピアニストを目指したこともあるベルは、ピアノのペダルを踏んで弦を解放した状態で声を発すると、その声に対応する弦が振動することを知っていた。つまり、音の高低を変えれば1本の電線で複数の音を送れるのではないかと考えていた。 電気の知識も少なく、手先も器用ではなかったベルは、機械製作の技術と資金について、教え子の親である資産家のサンダースと、弁護士のハバードから支援を受けることになる。

 支援をするにあたり、2人から、音声の伝送ではなく、情報の伝送の研究に専念するように言われる。というのも、1870年代前半、電線1本につき、電報は1つしか送ることしかできなかったからだ。そのため、ボストンなどの電信が盛んな都市部では、電線がたくさんあって空が見えないという場所もあった。当時、アメリカの電信を独占的に支配していた、ウエスタン・ユニオン社が、発明家に対して最高100万ドルを支払うと発表するほど、1本の電線で複数の電報をやりとりする技術が求められていたという事情から、言いつけ通りに音声ではなく情報を送る研究を電気工作担当のワトソンと共に進めていた。しかし、1875年6月、実験中に音が伝送できてしまったことにより、電話の研究にシフトしていく。

この辺の流れも、大幅に端折りながらではあるが、一応描かれている。

もの凄い名作と言う訳でもないが、決して駄作でもない。ベルの半生を勉強するにはうってつけの題材だ。
山浦国見

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