あかねこ

ハサミを持って突っ走るのあかねこのネタバレレビュー・内容・結末

ハサミを持って突っ走る(2006年製作の映画)
3.9

このレビューはネタバレを含みます

強い人はどこにいるのか。

こんなに長い映画だと思っていなかったので、途中何度ももうやめようと諦めかけた。
たとえばみんなの怒りが解放されるシーンや、グラタンのシーン。
ここでハッピーエンドで終わってしまえるのにと思う場面が多々あった。
とにかく観続けるのに体力のいる映画だったので、実話だということを知って納得した。
実話じゃなかったら、やっぱりもう少しおさまりよく、もっと短い映画になっていただろう。

こうあるはずだと思う姿がある。
家族の在り方や自分自身の生き方や物差し、他人との関係の築き方など。
混乱しきった現状の中で、最初からずっと喪失感を抱えて過ごしている。
いつか強い人が現れて、その人は多分間違いを犯すこともなくて、助けてくれるはずだと思う。

私は原作は未読なのだが、ずっと、「ガラスの動物園」という小説を思い出していた。
あの小説では、閉塞感の中で行き詰まった母親が、まだ見ない娘婿か、あるいは息子が現状をなんとかしてくれると信じている。
娘の恋は実らず、また息子は結局出て行って、母親は娘と二人、元の行き詰まりに取り残されてしまう。

この映画のラストシーンで、私は、「ガラスの動物園」で救われなかった母親が、ついに救われるところを見たと感じた。
出て行った息子、たとえその息子だけでも混乱の外で元気にやっているということ、それ自体が母親の救いになりうるのだと思った。

この映画に出てくる人々は疲弊しきっている。
苛立ち、恐れ、泣き叫びたいのを必死に我慢して取り繕って生きている。
まるで精神病患者の毎日をそのままなぞっているように、映画の中で状況はよくなったり、かと思えば再び悪くなったりする。
安住の地は見えない。

結局どこにも強い人はいないのだ。
みんなどこか欠けていて、それでもお互いせめて自分の持っているものを差し出している。
最後にアグネスが掛けた言葉は、アグネスにしか与えられない、そしてまさにオーガステンがずっと「与えられるはず」だと喪失感を抱えていた言葉だった。

もう一度観る体力はないが、いい映画だった。