Shibawithbread

プレイヤーズ・フォー・ボビー(原題)のShibawithbreadのネタバレレビュー・内容・結末

4.5

このレビューはネタバレを含みます

Before you echo Amen in your home or place of worship, think and remember.
A child is listening.

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 1980年代アメリカ、敬虔なクリスチャンを母に持つボビーは、家族に紹介するようなガールフレンドもおり家族仲は良好、平凡な一青年に見える。しかし、ガールフレンドとはキスどまり。これ以上の関係になれるとも思えない。ゲイストリートを覗き、学校のジョックに見とれる。彼女に“誘われた”夜をきっかけに疑惑は確信へと変わる。
 母は家族を愛していて、死後もみんな天国一緒だといっている。けれど自分は罪を抱えていて、あまりにも大きな罪に苛まれ兄に打ち明けたことをきっかけに問題は公のものとなり、長い努力の末母親と分かり合えないまま絶縁状態となってしまう。
 家族と離れ新しい自分になるのだとポートランドで暮らしていたが、神の教えは、母の言葉は彼を縛り続け、雁字搦めで平衡を失った20の心は最後の一歩を踏んでしまった。
 彼の死は家族に大きなショックを与えた。彼は家族の誰に何も告げずにいってしまった。母親は彼の死をきっかけに聖書の言葉について考えを改め、行動していく。考え続けたことで、努力をやめないことで彼女は変わった。


あの時代では冒涜とは罪という意味ではなかった
それは不浄であることを意味したんだ
レビ記は他にも貝を食べることは冒涜だとも言っている
生地を混ぜ合わせることもそうだ
—レビ記20:13では
—もし男が他の男と横たわれば二人とも死刑にすべきだと
同じことを姦通する者や親に服従しない子供について言っている
私たちはその聖句を文字通りに解釈することはない
申命記22章の中では
もし女性が結婚式の日に処女でないなら
彼女を父親の家に連れて行き、石で殴り殺すべきとある

―では、あなたはここに来る人達に何を教えてるのですか?
―同性愛は問題ないということですか?
―それが神の目では許されることだと?
彼らには私が真実であると信じていることを教える
神が彼ら自身を愛しているということをね
—神の報復は大きいものです
彼の慈愛もそうだ
—あなたは彼らに同性愛が問題ないと教えるべきじゃない
—それは聖書が言っていることではないんです
—彼らをもっと混乱させるだけでしょう

―でもソドムとゴモラについてはどうなんですか?
―神は同性愛の罪を罰します
―あれをどう説明するんですか?
多くの学者はその罪は同性愛ではなく
強欲さだったと考えてる
それに聖書が書かれて何年も後になるまで
同性愛のことだと言われなかった
―あなたの答えは、ただあれを正当化するためにあるの?
君の答えは、ただあれを悪だと正当化するためにある
私たちは膠着状態にあるようだね

—聖書を好き勝手に解釈してもいいと思ってるんですか?
もちろん違う
でも、聖書は人間たちによって書かれて解釈されたんだ
たくさんの解釈は、その時代と生活の反映だった
—それじゃあ、あなたはそれに疑問を持つのは自由だと?
—私はそれは冒涜だと思います
神は疑問を持たれることを気にしないと思うね
彼は私たちの答えの全てに喜ばないかもしれないが
盲目的な信仰は、信仰が全くないことと同じくらい危険だと思う
—私は決して自分の信仰に疑問を持ったことはありません
—そうする理由がなかったんです
時々それに疑問をもつことは
より奥深い信仰を見つけるための助けになる
—ボビーはここに来るのを止めました
—自分が神の愛に値すると感じることを、彼自身が許すことが出来なかった
—そして私たちは助けてあげなかった


私は茶色の目を自分で選びませんでした
私は今理解します
ボビーはゲイになることを自分で決めませんでした
もし腕がなく生まれることは呪われていると言葉に出す時
腕がなく生まれた子供がいたら、その子供はどう思うでしょうか

神の目の中では、思いやりや愛が全てなのです
私がゲイの人々への永久の天罰を繰り返して言うたびに
私がボビーのことを、病気で異常で子供たちへの脅威などと表現するたびに
彼の自尊心、彼の生きるための価値は崩れていたのです
そしてついに、彼の精神は修復できないほど壊れました
ボビーの死は彼の両親の無知と
ゲイという言葉への恐怖の結果なのです


・おばあちゃん39歳
・兄貴口軽すぎる
・カミングアウトはいつの時代も難しい
・ゲイプライド
・「私自身の聖書を作ろうかしら」ポートランドの従兄姉素敵すぎる
・ロッキーホラーショー
・心の旅に向かう息子に渡すものがここにきて聖書ってカアチャン…
・じゃあね、出っ歯でビーバーみたいな顔してハグするの可愛すぎないか
・握手の時のデーヴィッドの手が震えるの芸がこまかい
・レビ記18:22


 精神科医が女の子と性的関係をもってもいないのにどうしてそうだと言えるのっていったけど、それって逆に言えばどうして同性と性的関係を持ったこともないのに異性愛者だといいきれるのって言うようなもんだよなあ。

 母親は、この“問題”が起こった時に、自分の言葉で自分として息子に向かうべきだったんだよね。神の子である以前に、彼女の息子だったわけだ。けれど彼の存在の根底を揺るがす問題に対しての彼女の返答はいつも聖書の言葉だった。
 努力を止めないこと。母もデーヴィッドも使った言葉だけれども、そのベクトルが違うだけで希望にも絶望にもなりうる。
 聖書にそう書いてある。それで思考停止してしまったのが、彼のどうしても変えられない部分を否定し続けて結果彼自身の否定をもたらしたことに気づけたけれど、彼はもういない。それが一番悲しいなあ。
 善良な心を持っていたからこそ図々しく生きていられなかったんだろう。憎まれっ子世に憚る。

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真実を言わないことで
時々、僕は崖っぷちに立っている気分になる
ぶつかる波を見ながら
下に落ちる以外に行く場所がない
かつて僕が自由だったときは
色々と面白い夢を見ていた
でも今、僕は飛ぶのが怖い
電線がそこら中にあって
そこに突っ込めばどれだけ痛いだろう
僕がまた自由になれることはあるのかな

*
僕がすることの何も変化をもたらさない
そうなっているように見せようとしても
それは不可能に感じる
地獄の炎に直進していると信じるのはひどい気分だ
もっとひどいのは、簡単に解決できると皆が言うことだ
彼らは僕の立場になればどうなるのかわかっちゃいない

*
時々とても心が痛くなる
それに怖くて孤独だ
僕は広大な流砂の湖にゆっくりと沈んでいる
そこのないプールだ
僕は岩の下に潜って永遠にそこで眠れたらいいのにと思う
誰も僕を理解していない
家の中の誰も僕のそばに立って話を受け入れてくれない
神の哀れみの目が僕を見下ろしているのを感じる
僕が異性愛者じゃないってことを誰にもわからせてはいけない
それはとんでもない恥になるだろうから
僕の友人らは僕を嫌うだろう
僕の家族も
彼らが言っているのを聞いたんだ
ゲイたちを憎んでいると言っていた
神さえもゲイたちを憎んでいるって

彼らがそういうことを話すとき、僕は本当に怖い
なぜなら彼らは僕について話しているからだ
僕は罪を選びたくないんだ
神に対して本当に腹が立ってるし
挫折感を感じている
道の終わりにいるようだ
なぜ神は沈黙したままなの?

5月30日
追悼記念日でバーベキューだ
楽しかった
母さんは優しくて面白かった
昔の母さんのように
少しの間、昔に戻った気がした
昔の 母さんのように
彼女は僕が言ったことに笑っていた
本当は僕のことをどう思っているのかを忘れているように見えた
怒りは決して爆発しない
僕の物怖じする気質は決して大きな雷を起こさないだろう
でももう切迫しているんだ
神がひどく哀れんだ目で僕を見下ろしているのを感じる
彼は僕を助けることはできないだろうけど
なぜなら僕は正義よりも罪を選んだからだ