くすきゃっするさんの映画レビュー・感想・評価

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あこがれ(1958年製作の映画)

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自転車の映画。移動手段にも、狩りの手段にも、そして彼女の痕跡(におい)を辿る手段にもなりうる。
「あこがれ」は一方的な自己投影だ。そして、階級的憎悪(復讐)と裏腹の関係にある。
そのことが、「手の届か
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アントワーヌとコレット/二十歳の恋(1962年製作の映画)

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父なき青年の「対決と対決の消滅」。
コレットが家に居らず、外へ出て、向かいのホテルの中に入っていくショットのあと、素早いパンショットが差し込まれ、次のショットでは自分の家で荷造りするドワネル。この一連
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大人は判ってくれない(1959年製作の映画)

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逃走。「15の夜」みたいな。尾崎豊ほど湿っぽくはないけれど。寝床は4つ。

自転車泥棒(1948年製作の映画)

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「求めよ、さらば与えられん」という言葉通り、神や占いを他の人よりも信じていない主人公は何も「与えられない」。では神や占いを熱心に信じ敬えば良いのか。違う。信じていても同じことは起きただろう。なぜなら、>>続きを読む

悪は存在しない(2023年製作の映画)

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一つ一つのショットが力強いわけではない。ただ持続する。自らのことを自らが語るわけではなく、ただただずまいを見せるだけ。

鹿の親子の化身?

氷の張った湖面に空いた穴から覗く水面が不気味。

大いなる幻影 Barren Illusion(1999年製作の映画)

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何も無いことを、空を、沈黙を輪郭によって刻み込む。その天才的な持続。

路地へ 中上健次の残したフィルム(2000年製作の映画)

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差し込まれる中上健次のフィルムの、路地の黒さ、空の白さにドキッとする。

かつて「路地」であったとされる場所が映される。しかし、ただ住宅地が広がるだけである。果たしてここに「路地」と呼ばれた場所が本当
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風櫃(フンクイ)の少年(1983年製作の映画)

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視線は、ただ不在者を眼差すために投げかけられる。出会いにも、別れにも言葉は必要なく、その後ろ姿にただ視線が投げかけられさえすれば良い。

恋恋風塵(れんれんふうじん)(1987年製作の映画)

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これこそ「映画だ。」
観光地化する前の、「悲情城史」以前の九份。

オールド・ジョイ(2006年製作の映画)

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このレビューはネタバレを含みます

変わり者の旧友からキャンプに誘われる。
旧友の話はデタラメに思える。温泉があるから行こうと言われるが、その温泉が本当にあるのかどうか疑わしい。出産を控えた妻からは何度も電話がかかってくる。半信半疑で森
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(1997年製作の映画)

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ある撮影現場。河に流れる死体を撮影している。しかし、死体に見せかけた人形がどうしても上手く流れない。やり直し続ける。偶然居合わせた青年が河に流される死体役に抜擢される。撮影は上手くいく。河の流れにただ>>続きを読む

SELF AND OTHERS(2000年製作の映画)

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目は不在、すなわち在の痕跡。
写真の目に対する映像の目の応答。

愛情萬歳(1994年製作の映画)

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不動産、納骨棚、服。
誰も売れない。呼びかけるだけで返答されない。相手にされない。その空虚さ。
自分の存在を確かめるために、ある者たちは身体を重ね、またある者は自らを傷つける。
その空虚さは言葉で表す
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阿賀に生きる(1992年製作の映画)

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舟が完成し、陸を離れ次第に小さくなっていく。何かの始まりを感じさせるとともにある終わりを感じさせる間の瞬間。
河とともに生きる人々の姿。

PERFECT DAYS(2023年製作の映画)

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反復、それは影踏みである。
故に脆い。
居心地の悪さはオリエンタリスティックな日本、東京表象。

(2023年製作の映画)

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倫理なき競争社会。今自分は他者より優位に立っている。そのことを示すのは支配領土の拡大、最終的には天下統一を成し遂げること。支配領土の拡大は敵の「首」の獲得によって成し遂げられる。すなわち、敵の「首」を>>続きを読む

aftersun/アフターサン(2022年製作の映画)

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全て最初で最後。同じ毎日の繰り返しではない。生きるということの取り返しのつかなさ。なぜかジャン・ルノワール『ピクニック』を思い出す。

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