全編メイキング映像のような印象だった
生命の源としての女性イメージに重ねられてきた樹木を男性に植え付けてパラサイトさせ続けるとかニンジャとかはよかったけど、画面のかっこよさとしてなんだかなあ
今ま>>続きを読む
フューリーロードに形として一番近いのは2だったのかな
娯楽としてかなり楽しい
CaliforniaLoveのMV
ホームビデオがノスタルジーを引き起こすのも一定の世代に対してだけなんだろうなと当たり前のことを思った
チェーンソーを持って木に向かってくる画と斧で薪を割る画は、殺されバラバラに解体されるものからの視点
柄杓で汲まれ、ポリタンクに詰められて車に運ばれた後でも死んではいない(視点を保持し続ける)水がトラ>>続きを読む
モヒカンが出てきて前に見たことあったのを思い出した
砦によって内外の境界が生まれている環境にあって、それを飛び越え得るヘリに乗った男が「空から来た男」として後のリーダーになる
オープニングと途中の歌渋くないなあと思っていたが任侠映画のパロディとしてということなのか?
ウッチャンみたいなヤクザがいました
今回はというか今回も緊迫感が暴力の方向に引っ張られていたのは助手席に置かれた銃を無造作に映すオープニングからずっとそうだが、それが最高潮に達するはずの対決があまりにドラマティックでない
しかしドラマ>>続きを読む
報告書、手紙などといった文字あるいは目に見える証拠によって容疑者に迫っていく警察側と、口笛、物音を拾い集めることによって迫っていく人々
彼らは盲目の風船売りの証言をきっかけにし、ターゲットの印として>>続きを読む
回転する映写機のようなアトラクション
盗み、売却に失敗し、返却することになるタイプライター
個人的祭壇に飾られ燃えるバルザックの肖像
新しい映画の称揚
隣の奥さんがウィード吸ったらアイスティーが飲みたくなるわねという場面やけに印象的
マスクの上からでも葛藤が窺えるのが良い
ダースベイダーの最終手段フォースとかじゃないんだ
テクノロジー(義手)と、身体(草木や人との間に生じている結びつき、フォースを感じることの出来る装置)が融合することでサイボーグになっている
ジェダイとか以前に腕の立つ飛行士であることが生き残る条件なんだなあ
炸裂する瞬間の破壊の美はともかくとして、破壊された人達の姿を幻視以外の形で観客は見なくて良いのかという批判は成り立つように思う
一人称であるからこそエロティックな幻視も起きるし、実験の成功にモノローグ>>続きを読む
全ての登場人物があまりに理解を示しすぎていると初めは思ったが、自身に起こった出来事を受け止めることで他人への想像力を持つことができるということの、出来事の全体像が映っていたのが今回は主人公の二人だった>>続きを読む
息が詰まる瞬間を無音で演出するためにはそれと気付かない形で音を鳴らし続ける必要があったのか
銃一つで子供がこれだけ場を支配することができるとしたら、人種や性別による身体の差が社会的な差になることを信じられないような気がするが、まあ特殊な閉鎖的状況なんだろう
太い骨格に肉がみっしり詰まっているようなデカい映画
あれだけ遠くにあれだけの人数揃えて並べられたらもう戦ができるだろ
かなり面白い
軍隊で出世するやつってこういうやつなんだろうなと思った
公衆トイレの鍵を開ける人は公園で食事を摂り公衆浴場で身を清め駅及び橋の下で酒を飲む人であり、新たなTOKYOとしてのスカイツリーを取り込んで四六時中光る家の扉の鍵を閉めない人でもある
一つの糞も付い>>続きを読む
育て、手放し、取り戻し、殺す流れのほとんどが本人に頼まれてやることだとしてもちょっとパパすぎる
毎日通っていた教会から離れてあの行動をとることの根本的な背信
ピザを運ぶとき、ハムスターを洗うときに銃を落とす警官はもはや銃を必要としていない
高架の下で車を停めて話すシーンは『パリ、テキサス』にもあった気がする
行き場のなさ、出て行くことの出来ない感じは冒>>続きを読む
司祭や子供の背後、窓枠に十字が浮かんでしまうこと
懺悔室のような場所で浮かぶように照らされる顔と、遺体を拝みに登る際の螺旋階段が作る影
採集、調理、洗濯、掃除、薪割り等々常に手を動かして働く人達が、雇った人間のサボりを監督し富を動かす人の資産を少しずつ奪う
先住民との会話に字幕が消され、密かに交渉が成立するのが良い
やはりモチーフは同じだったがそれほど喋らなくても友人がいることで深刻な孤独には陥らない
ラストかなり良かった