めちゃくちゃ面白い。他に類を見ない長回しをやってる。といってもぼくは相米慎二を思い出した。
謎が謎のままで物語と世界が開き続けるというのは『彼女たちの舞台』や『北の橋』でも通底している。
濱口竜介みを感じた。リヴェットが撮る女たちは最高っすね。
「待つ」瞬間をほとんど省略している。なぜ男に惹かれ、死ぬのかがほとんど説明されない点でこれはメタメロドラマ。
長回しとは言わないまでもよく動き、複数ショットを一つのショットに集約させているショットが>>続きを読む
村で祭りに遭遇するシーン、彼女は群衆に負け、道から外れることが出来なかった。にしてもジュリエッタ・マシーナの演技が本当に凄い。
武田潔が『ロング・グッドバイ』の入水のシーンを映画史の反射として批評し>>続きを読む
ドリーを攫う人間がジプシーだという点で、『國民の創生』はつくるべくしてつくられたんだなと。
フェリーニが極めて個人的作家であったのはここからすでに見て取れる。『8 1/2』の前日譚として。
未だに死刑廃止を出来ていないこの醜い日本国まじダセえ〜。
まあ昨今のコンプラっつーのは差別を廃絶しようと見せかけて実は隠蔽してるだけなんだな。この映画はそれをよーく知ってるから朝鮮人も性暴力も人命も宗>>続きを読む
このカメラワークの流麗さはゴダールではほとんど感じたことがない。加えてゴダールの女性像との差異も目立つ。
戦争が個人の友情に何一つ影響を与えていないのはあまりに美しく、楽観的だ。
まずもって言わなければならないのは吉田喜重は「場」の発見に極めて長けているということ。
で、めっちゃくちゃ面白い。労働者映画、メロドラマ、サスペンス、ヴァカンス、青春が一つの鍋で煮込まれて怪異的な映画>>続きを読む
「失われた景観がそこにある。それは歴史と呼ばれる嵐が無垢だった土地の上にひとときの幻影にも似た繁栄をよびこみ、やがて非情に立ち去っていったあとに残された瓦礫のような光景だ。」
話は面白いんだけど、絵が弱い。露光が良くない。
しかし太田光海さんはめちゃくちゃ尊敬してる。
60年にして68年の敗北を見据えていたのか。にしてもカンタベリー物語形式で演劇的な演出とフラッシュバックという単純な構図は面白い。
最後の演説は底気味悪いね。
海の上で出会ってしまったばかりにギャバンは浮気をはたらいた。海と陸の対置として相米慎二『魚影の群れ』を参照。最後のシーンは重なる。
荒れる海と「予兆・omen」としての風はエプスタインの映画とも重な>>続きを読む
「家」と家族≒血の物語かな。画の作り方としてああいう現像の仕方と光のとり方はめちゃ勉強になる。
FUCK GENTRIFICATIONっす。
単純で秀逸なギャグと巨大なセット。チャップリンとジャック・タチの融合(というか母胎)
終盤の群衆の狂乱と風のシーンは必見でしょ。
ルノワールにも劣らない監督だと思う。
6つ目なんてストローブユイレの映画じゃないか。
贅沢のためなら全財産を擲つ。
圧巻ですわ。汗と血。民衆のどす黒い力が小さなドヤ街で渦巻き、過熱しきっている。大島渚の極めて政治的な姿勢は当たり前にゴダールと重なる。
にしてもシネスコが上手すぎる。
群衆と病というソビエト的モチーフはここにも発見することができる。ハンガリーまで伝播しているのか。
『DAU.退行』と繋げて考えたい。
長回しは映画の空間や時間、人間の生を追っているとタル・ベーラは言ってたが、まさにこの映画の長回しは彼らの生を克明に記録している。独特なサウンドの録り方は彼のスタイルであり、倫理的な決断でもある。ホウ・>>続きを読む
映画の直接性を純粋なイメージと音によって構築した原理主義的な映画の復活だ。タルコフスキーの難解さはもはやここでは見て取れない。無限の顔を見せる水と対置される火。(タバコは熱源である。ル・クレジオは太陽>>続きを読む
シチュアシオニスト的であり、極めて「69年」的。フィルムで首を吊る吉田喜重。パゾリーニやストローブ=ユイレがやった試みを彼はやっている。
キャバレー≒家。コズモの家は映らない、というよりもキャバレーが彼の家。コズモは経営者を超えて父である。