傑作。
マイケル・マン映画では権力機構の走狗であった者たちが真の個人を獲得する。そしてそれは決闘を可能にする。『ヒート』でも同じであった。それは崇高な物語を与えるだろう。そのおかけでヴィオラ・デイヴィ>>続きを読む
ヒリヒリしてた。男だらけの黒沢清映画好きっす。さらっとシャイニングするのもいい。
都市映画として多少目を引くところがある。この俳優陣でダントツ顔が仕上がってるのがたけしなのがヤバい。そう考えると北野武組は本当にいい顔の役者が揃ってる。
一切の無駄のない編集が光りすぎている。『鉄腕ジム』でも見せたような見事な省略が二度ある。
テイラー・シェリダンの『最後の追跡』を思い出した。現代の傑作だと思うなあれは。
瘴気、波、肉体、魔術、音楽のすべてが黒く輝くこの映画を批評するにはひとまずビールを飲むしかない。
同世代のやつがドキュメンタリーでぴあを取ったというから観てみたら、全く大したことなかったです。これでいいんすか?全部。ようわからんけど保守的な作品ですよこれ。
かつて日本は途方もなく豊かであった。
これを幸福と呼ばずしてなんと呼ぶか。
この映画を「演出」できてしまう王兵の才能の恐ろしさ。彼はやはりドキュメンタリー映画の監督である。索漠とした荒野と空の青い美しさが美学的な感動を呼び覚ますのではなく、ひたすら収容所の苦しい叫びを反芻させ>>続きを読む
面白い。今までフィジカルで伝染していった黒沢清的な病理が、ネットで媒介する。
ツッコミどころは多い。
傑作。しかしまあこれをアメリカで撮ると緑色の怪物がヒーローになっちゃうんだから困ったもんだ。
ベロッキオは「イタリア」をあらゆる角度から思考し、映画をつくっている。
まさしく「仁義なき戦い」でありながら「グッドフェローズ」でもあるこの映画は極めて政治的である。アンドレオッティとコーサ・ノストラ>>続きを読む
すげえ面白い。ちゃんと考えたい映画だけど、それには夏がちと暑すぎる。
ただ黒沢清の森の表象をタルコフスキーと結びつけるのは安直すぎる気がする。
一度も弛緩しない緊張を一言で終わらせる度胸がピアラにはある。長回しの曖昧さがドラマを生み続ける!
映画とは時間の装置だ。そしてレネは記憶と時間を映画にもたらした監督だ。編集≒モンタージュによって思想が新たに編まれるというのは、エイゼンシュテインのそれともグリフィスのそれとも全く異なる。カイエの監督>>続きを読む
ひとつのショットがひとつの時間を構成するという理念。タルコフスキーのそれとも違うし、アンゲロプロスのように1ショットで時制が変わるようなものでもない。記憶としてしか過去が存在しないために、タイムスリッ>>続きを読む
極端なフレーミングがいい。蛇のガソスタが謎すぎて気持ち悪い。
まあ全体的に大したことない。
『ダーティ・ハリー』の再解釈か?背中を撃つことやデュエルを避けることは老境を迎えたイーストウッドの姿を捉えている。西部劇のあの音が響くところからして「イーストウッド」の作品だわな。隣人への不信、メキシ>>続きを読む
ギョーム・ブラックの中では振るわない映画ではあるが、悪くない。ただ、開かれている物語としてこの映画を提示するのは映画製作者として逃げているように見えるし、なんにも機能してない。
なんかカルチャー界隈で>>続きを読む
もちろんリヴェットやロジエの映画を思い出したが、バーバラ・ローデンやアケルマンのほうが本質としては近いのではないか。彼の『愛の記念に』と精神的姉妹篇として観ることができる。
ランスから出たいと言ったあ>>続きを読む
たしかに『大人は判ってくれない』のカウンターとして機能しているが、露悪的とさえ言えるようなピアラの倫理はかなり厳しい。この映画でも死は徹底的に凡庸化されている。
車にネジを投げつけるシーンでいきなりキ>>続きを読む
イーストウッドは初期から「アメリカ」を撮り続けている。その政治性を極めて娯楽的にジャンル映画の中でみせ、しかもそのジャンルを解体していく。
もはやジャンルの幽霊でしかないものとして登場するのがやべえ。
ヒッチコックや同時期のアルトマンの映画と連関がある。冒頭の空撮がヤバいし、ジャズフェスのシーンも素晴らしい。
にしてもイーストウッドの寝室が悪趣味すぎるな。