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気狂いピエロ 2Kレストア版のWILDatHEARTのレビュー・感想・評価

気狂いピエロ 2Kレストア版(1965年製作の映画)
4.0
『死の匂いに彩られた鮮烈な生』


ゴダールの映画を観る体験には、自分の中の過剰な自意識と対峙するという自虐の楽しみがある。


ベトナム戦争、アルジェリア戦争、第二次中東戦争・・・
全編に渡って付きまとう戦争と死の影。

フェルディナン(ジャン=ポール・ベルモンド)とマリアンヌ(アンナ・カリーナ)のカップルは、自分達が死に向かって疾走していることをどうやら自覚しているようだ。
それ故に俗世を尻目に馬鹿げた饗宴に興じて刹那的に生を謳歌しているようにも感じられる。

血生臭い死の影に付きまとわれた生の饗宴。

この生と死の強烈なコントラストが、カラフルなこの映画の色彩と相まって眩しい程に鮮烈な印象を残す。

まるで、自らが漫画の世界の存在であることに自覚的なワーナーブラザーズ製ルーニーテューンズのアニメキャラのように滑稽な死に向かう二人。
実際、フェルディナンが体験する現実は彼が劇中で読んでいるバンド・デシネ(フランスやベルギーのカラフルな漫画本)の世界とそう変わらないことを彼はきちんと認識しているかのように見える。


アンナ・カリーナから「ピエロ」と呼ばれていちいち「フェルディナンだ」と訂正するベルモンドは、我々全ての現代人に共通する、自分は世の中の他の奴等とは違ってまともなんだという妄想的で過剰な自意識を代弁してくれている様で、今見てもやっぱり面映ゆい気分にさせられる。

そして、まるで漫画の様にペンキを塗りたくった真っ青な顔にダイナマイトをぐるぐる巻きにして、自分が見下してきた世の中で自らのコミカルな死を演出した筈だったフェルディナンは「くそっ、こんな筈じゃ無かった!」と死の直前で逡巡を見せて、結局ベトナムやアルジェリアでの戦争による多くの名も無き犠牲者と何ら変わらぬ単なる悲惨な爆死を遂げてしまう。

なんと哀れで滑稽な死に様だったことか!

それは、かつてマリアンヌがいみじくも語っていた、ニュースで読み上げられる「戦死者」という呼称だけではその人生について全く計り知れぬ沢山の死の中の一つに過ぎなかった。


つまりはこういうことだ。
僕たちは皆誇大妄想に取り憑かれた気狂いで、その生き様はまるでピエロの様にちっぽけで滑稽である。

なんということだ。
気狂いピエロとは、僕のことだった。


↓大好きなアンナ・カリーナの思い出に。R.I.P☆
https://youtu.be/QVfZ5sG41n0
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