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ぼくのエリ 200歳の少女のWILDatHEARTのレビュー・感想・評価

ぼくのエリ 200歳の少女(2008年製作の映画)
4.0
『愛という名の支配』


終盤の3分間窒息ゲームでプールの水の中に潜らされたオスカーの姿は、彼のそれまでの人生そのものだ。
目を瞑(つぶ)り、身を屈め、頭を押さえつけられて息も出来ぬほどに抑圧された人生。
そんな彼の腕を掴んで優しく水上へと引き上げ、空気を与え呼吸を叶えてくれたエリ。
水の外の世界にはオスカーが初めて味わう「人生を生きる意味」があった。
微笑みを交わす二人の世界を邪魔立てする者はもう居ない。
エリが咬み殺してしまったから。


水、空気、氷、雪。
五感を通して体感するこの世界の美しさ。
この映画は感覚的な美に満ち溢れている。
鮮血。
そして、体と心の傷が疼く痛みにも。


この映画が真に恐ろしいのは、誰もが体験し得る普遍性を備えた非常に身近な人間ドラマであることが要因であろう。
ヴァンパイアという記号は、「相手を殺してでも生き残りたい」というエリの告白が示す様に、我々の棲む世界に確実に存在している他者の生気(あるいは人生そのもの)を吸い尽くしてサバイヴする怪物の様なサイコパシーのメタファーと解釈することも出来る。
そしてヴァンパイアの如きサイコパス(ソシオパス)がその本領を発揮するのは所謂恋愛という閉じられた関係においてである。

更に言うならば、そもそも誰かに恋をするということは即ち相手から支配を受けることであるという恐ろしい真理をこの映画は冷厳に突きつける。


レコードプレーヤー、ラジカセ、ルービックキューブ。
この映画が描く世界はノスタルジックな過去である。
過去に見えるこの映画のその先にある現実は勿論オスカーが歳を取った、エリと一緒に暮らすあのしがない中年男になった現在である。
この無限に繰り返される支配のドラマが何よりも恐ろしい。


最後に映し出される列車は無論オスカーのその後の人生のメタファーであろう。
列車の中にはオスカーとトランクの中のエリ以外には誰も乗っていない。
オスカーとエリはたった二人でこの世界を生きてゆく。

運命を乗せた列車の行き先がたとえ地獄であったとしても、窓外を流れゆく雪景色の様に今、ふたりの世界は静謐で美しい。


↓Wicked Game(邪悪なゲーム) / Daisy Gray
https://youtu.be/L4VU-AwxzSY
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