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パリ、テキサスのWILDatHEARTのレビュー・感想・評価

パリ、テキサス(1984年製作の映画)
4.5
『「スター・ウォーズ」と「パリ、テキサス」』


8ミリフィルムの中の若く美しいジェーンを観たハンターは言う。
「あれは遠い昔、遥か銀河系の彼方でのこと・・・」
このセリフは、「スター・ウォーズ」のオープニングのあの有名なキャプションになぞらえられたものだ。
ハンターが眠るベッドのシーツの柄は「スター・ウォーズ」のデザインで纏められ、枕カバーには「ジェダイの帰還」のタイトルロゴが見える。


実の親から捨てられ、育ての親である叔父・叔母夫婦と共に暮らすハンターの生い立ちは「スター・ウォーズ」におけるルーク・スカイウォーカーの境遇を彷彿とさせる。ハンターが投影された8ミリフィルムに映るジェーンを観るエピソードはルークがホログラムのレイア姫の姿を観たシーンと重なって見えなくもないし、家族を捨てた実の父親トラヴィス(=ダース・ベイダー)の存在はハンターが世界(宇宙)へと旅に出る大きなきっかけを与えていると言えそうだ。

その旅の目的は、自分とは血縁関係にあるお姫様・ジェーン(=プリンセス・レイア)を救い出すこと!

...と、そんな風に勝手な妄想を巡らせることで、映画「パリ、テキサス」はサム・シェパード(脚本)と監督ヴィム・ヴェンダースによって「スター・ウォーズ」(第2サーガ:1977〜1983)へと捧げられたオマージュだったのではないだろうか?なんて思ったりする。


トラヴィスが行く先々で不穏なトラブルを巻き起こすのはやっぱりフォースの暗黒面を体現するキャラクター設定を踏襲したってことじゃないのかな?

この男が現れたことで弟のウォルトは不機嫌になり癇癪を起こすわ、その妻アンは「トラヴィスが来てから何もかもが急に変わってしまった。何だか怖い」と情緒不安定に陥るわ、本当に禄なことが無い。

ハイウェイを跨ぐ高架上を歩いている時に物騒な演説をぶち上げるアジテーターに遭遇したりする不穏なシーンも挿入される。

有名なマジックミラー越しの対話においてもガラス一枚を隔てた光と陰の対比によってトラヴィスが抱える心の闇が視覚的により一層明確に印象付けられる。

ジェーンとトラヴィスがミラーを挟んで向かい合うとき、ジェーンのヘアスタイルの中にトラヴィスの顔がくっきりと映り込んでゾッとしてしまう。
トラヴィスが見ていたのは自分が対峙すべき女ではなかったのだ。あたかも彼の眼には相手に投影された自分の姿しか見えていないように映る。
目の前に愛すべき者が居るというのに。

こうしたエピソードによって説明されるトラヴィスのダークサイドが、かつて自ら築いた家族を崩壊へと追い詰め離散させてしまうのに十分過ぎるほど深いものであったことは想像に難くない。この業の深さはやっぱり呪われたアナキン・スカイウォーカーがモデルなのかな?なんて。


この映画の画面の色彩設計はエドワード・ホッパーの絵画を彷彿とさせてとても印象的なんだけれども、そう言えば、画面の中に頻繁に忍び込んでくる赤はトラヴィスがもたらす不吉のシグナルとして提示されているようにも感じられる。
(トラヴィスが去った後ハンターとジェーンが再会を果たすシーンではこの赤が影を潜めて、二人共に深いグリーンの服を纏っていることで画面にホッとするような平穏がもたらされるのだ。)


最後に一つだけ善い行いをして再び家族の前から姿を消し孤独な人生へと戻って行ってしまうトラヴィス。

彼の心に巣食う闇はどこまでも深く、ハイウェイに落ちてゆくテキサスの赤い夕日だけがその暗黒を癒してくれているかのようだ。

その印象的なエンディングの赤い夕日は、かつてルーク・スカイウォーカーが青春の孤独の中で見つめていた惑星タトゥイーンの二つの夕日のように哀愁を伴って今も尚僕達の胸を熱く焦がしてくれる。



あの時代、「スター・ウォーズ」というアメリカ発の新しい神話様式を下敷きにしてもう一つの心に残る旅の物語が産み出されていた・・・そんな妄想を膨らませて観ることで、僕にとってこの映画はより特別な思い入れのある作品となって記憶に刻まれてきた。


↓スライドギター・プレイの名手ライ・クーダーのカッコいい「The Prodigal Son」
https://youtu.be/HEUIZWyieAk
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