このレビューはネタバレを含みます
広大な大海原に投げ飛ばされた気分、とでも言えばいいだろうか。
久々に沢山の事を考え、思い馳せ、顧みて、意味を考察し。そうやって点と点を結び余白を埋めていく様な作品であった。
11歳のソフィと31歳の若き父のカラム2人きりの旅行。2人の旅行の様子はホームビデオに撮り納められており、そのかけがえのない瞬間、瞬間が切り取られている。
2人はどうやら凄く満喫してそうだ。
しかし断末魔の叫びの様に大人のソフィが点滅するダンスホールで立ち尽くしているのだ。
なぜ。
映画が進むほどに明かされる2人の本当の距離。
とても思春期を今から迎える女の子には埋め切れない行間。
私の目に映っていた貴方の本当の気持ちは?
貴方の本音は?
もう聞く事の出来ない距離にいるだろう父の思いは、遡るビデオの映像の端々から溢れ出ている。
満たされている筈の愛の裏に潜む陰。
それはまるで嗄声の様に咽び横溢する哀しみ。
あんなに私の記憶のあなたは楽しそうだったのに。
あなたの目には私はどう映っていたのだろう。
記録と記憶の違い。
いつだって愛すべき記憶の断片はもう二度と戻ってこないのだ。
気怠い夏の陽光さえも。
空を掴むかの様に追い掛けても届かないあなたは次第に闇に溶けていく。
そしてまさに豪放磊落の力業、有無を言わせない圧巻のクイーン/デヴィッド・ボウイ「under pressure」でまるで白日の下で対峙する。
自分と亡者と。
思えば私と父は今でも付き合いはあるし、仲こそ悪くないが昭和の父と子の関係が令和でも染み付いてる印象だ。
何処か間合いを感じる。
しかし亡くなった祖父や祖母との思い出は鮮明で、どんな時も笑顔で優しく包み込んでくれた。
しかしそんな2人にも語らず、語れず棺桶に持っていった隠し事は山の様にあったのだろう。
そんな感情とこの作品は思いもよらず向き合う事になり、擦りむいた傷痕の様に心はヒリヒリし、掻きむしられた。
それにしてもこれほど迄にミニマルを徹底しながらも恐ろしい程に深い物語を完成させたシャーロット・ウェルズ監督の地力には驚くばかりでもあった。
次回作の事は未だ何も決めていないとの事だが、存分に流れゆく時間と向き合って新たな物語を創出してほしい。
そう願わずにはいられない才能でもあった。