年末ラスト見に行ってきた。
カウリスマキ作品との出会いは「過去のない男」で、あの作品を見た当時その表現方法の可能性についてハリウッドに傾倒していた我が身にはかなりの衝撃を喰らった事は鮮明に覚えている。
淡々としながらも核心を突く。
アンニュイな感じのリアルな肌感覚。
シュールな演出。
遠見がちながら寄り添う様な優しさ。
ハリウッド映画にはない切り口に虜になった。
さて本作。
引退を撤回した監督の新作となると期待と不安が入り混じるものだが、「私にとって」それは杞憂に終わった。
本作は即ち私の或いは誰かの物語なのだ。
遠い人達の話であるかもしれない。
本作を通して誰もがそれを睥睨しつつ、何処かで出会す現実的な物語なのだ。
ヘルシンキの街の何処かで咲く一輪の花の様に、互いの名も連絡先も知らないアンサとホラッパのアナログな恋物語は、氾濫したデジタルの波を日々浴びている現代人には深く沁みる。
過度に人情味を出さずに2人の行方を追う。
何処かリチャード・リンクレイターの「ビフォア・サンライズ」みたいな偶然。
それを彼が調理するとこうなのかな。
でも彼が語りたいのは甘いロマンスでは無く現代社会の不安との共存やどう生きるかに重きを置いている様な人生譚に感じた。
だからホラッパはいつまでも拭えない不安を消す様に酒に溺れている。
アンサは正義や本来正しいと思う行動が賞賛されず、反感買う所は、表面上で成否問われる現代社会そのものである。
いずれも社会の憂き目と対峙している中で、出会う2人。
でもそこに密接になり過ぎず、ラブストーリーにある“恋に落ちる"引用。
理不尽で厭世的なこんな世を憂いたくなるけれど、そんな現代にこんなシンプルな語りでカウリスマキの想いと愛に触れれた事に感謝したい。
劇中の落ちぶれ荒む心と生き方に叱咤激励する様なMaustetytötの曲はそのサイケデリックな表面からは到底想像も出来ないくらい深い歌。
泣けるじゃんかよ。
こんなにセンチに攻めてこられたら。
あとワンコ🐕かわいかった。