『最後の審判』
When my life is through
人生が終わる時
And the angels ask me to recall the thrill of them all
「ワクワクする思い出は何?」と天使に尋ねられたら
Then I will tell them I remember you
きっと私は答えるだろう それはあなただったと
コメディスターであるエディ(ジェームズ・カーン)が毎回の米軍慰問ショーのフィナーレを飾る歌として披露するのが、上記のジャズのスタンダードとなっている名曲「I Remember You」である。
我々が人生を終え天国の門の前に立たされたとき、初めて悟ることになる本当に大切だった人や出来事。この映画は、そうした人生における掛け替えの無いものに想いを馳せるための、興趣と示唆に富んだ珠玉の一編である。
そして物語の根底にあるのは、新約聖書に収められた、世界の終末後に人間が生前の行いに対する神の裁きを受けるという「最後の審判」の逸話に描かれている宗教観であろう。
↓以下、ネタバレなので読まないでね!
実に25年に渡る確執を経て再会した時、ディクシー(ベット・ミドラー)はエディに、前日の夜眠っている時に見たという夢について述懐する。
夢の中で、天国へ辿り着いたディクシーは神に尋ねた。
「神よ、どうしてあなたは奪っていったのですか?
私にとって一番大切だった者たちを。」
神は答えた。
「お前は楽しんだ。思い出すがいい。
沢山の観衆の歓声と拍手、喝采。
存分に楽しみ尽くしたお前はその代償を払ったのだ。」
それはディクシーにとって、人生の試練として受け止めるには大き過ぎる代償であった。
心に穿たれたあまりに大きな穴を埋め合わせることが出来ず苦しみ続けてきたディクシー。
実は、エディも同じ想いを抱いて苦悩し続けていたのだった。
二人が共に負った癒えることのない心の傷こそが、不思議な縁(えにし)となって再び彼らを結びつけることになるのである。
そうして最後に歌われる「I Remember You」はまるで、苦闘しながら生き延びた二人の人生と、全ての死んで行った米軍の兵士たち(the boys)の人生へと捧げられた賛美歌の様に麗しく響く。
ディクシーが夢で見た、最後の審判によって自分の人生が断罪される憂いに満ちた予感。
だが、エディの生涯で最大の思い出の中に居る自分を認めることで、疑念を抱かざるを得なかった人生の意義をようやく彼女は探り当てることが出来たように思われる。
それはきっと、彼女が長きに渡り決して許すことの出来なかったエディに、ついに与えるに至った「赦(ゆる)し」によってもたらされた人生最大のギフトだったのだ。
ここにも、物語に通底する宗教的人生観が垣間見える。
ー 我らが赦すごとく、 我らの罪をも赦したまえ。ー (「主の祈り」の一節 )
ラストシーンにおいてゆったりとではあるが確かな足取りで、華やかな舞台の向こう側へともう一度人生を歩み始めたディクシーに、ささやかなエールを贈りたくなった。
↓劇中で印象的に奏でられていたビートルズの「In My Life」をダイアナ・クラールのヴァージョンで。
https://youtu.be/qQMNR7o_ICc