WILDatHEART

イヴサンローランのWILDatHEARTのレビュー・感想・評価

イヴサンローラン(2010年製作の映画)
3.6
『冥府魔道(めいふまどう)』


本作のオープニングでの、イヴがファッション業界からの引退を宣言する記者会見のシーン。
虚ろな眼で息も絶え絶えに自らの業界での活動を振り返るその場面には、長年に渡る苦悶の日々によって擦り切れてしまった痛々しい傷負い人の姿があった。
そこには、若干21歳でクリスチャン・ディオールのヘッド・デザイナーとして大抜擢された、かつての才気迸(ほとばし)る希望に溢れた美青年の面影は最早微塵も無い。

生前はセレブリティや富豪達のためのオートクチュールを仕立てる為にアイディアが枯渇するまで馬車馬の如く働かされ、その死後も自身が世界中から労を尽くして蒐集した美術コレクションをオークションに掛けられて、またもや富豪達からことごとく買い漁られる。

天から才能を与えられたが為に富裕層から人生をしゃぶり尽くされた悲運の人。
まさに修羅の道である。

イヴのデザインが今尚世界に影響力を及ぼしていることは、冥府(めいふ)から現在のこの世へと甦った彼の怨念の仕業であるかの様にさえ感じられてしまう。


イヴの公私にわたるパートナーであったピエール・ベルジェが本作で語っていた「名声は幸福の輝かしき葬列である」という言葉が、晩年のイヴの心の闇を如実に浮き彫りにする。
たとえ巷間の目には輝かしく映っていたとしても、名声が神経症を患うイヴにもたらしたものは果てしなく続く苦悩と地獄の日々だったのである。
その神経症でさえも、アルジェリア戦争の兵役中に軍隊で体験した凄絶な虐めが原因であったというから呪われた人生としか言いようが無い。

そして、名声は文字通り彼の精神と魂を葬り去った。

奇しくも、生前イヴが愛して止まなかった、彼の随一のシンボリックなデザインである「スモーキング」と呼ばれる真っ黒のタキシードスタイルに身を包んだ女性モデルたちが大挙してランウェイを練り歩く様は、イヴ自身のために誂(あつら)えられた洗練を極めた葬列の様な凄味を纏っている。


本作を鑑賞して改めて痛感したことがある。
我々は芸術家の目を通してしか時代を捉えることが出来ない。
しかし、我々が真に時代を理解したときには、イヴの様な天才は時代から無残に遺棄されてしまっている。
本作の様な映像作品の存在意義は、イヴ・サン=ローランの様な天才芸術家の功績を今一度振り返って心に留め置くことにあるのだろう。


↓1966年、イヴ・サン=ローランは女性のためのタキシード・スタイル「スモーキング」で全身黒をまとった男装の様な女性の美を演出して世に衝撃を与え、その同年、本作にも登場するミック・ジャガーは大切だった者をあの世へと見送る悲しみを歌う。タイトルは奇しくも「黒く塗れ!」( Paint It Black / The Rolling Stones )
https://youtu.be/O4irXQhgMqg
WILDatHEART

WILDatHEART