WILDatHEART

ネバーエンディング・ストーリーのWILDatHEARTのレビュー・感想・評価

4.1
『王国の在り処(ありか)』


"Why don't you do what you dream, Bastian?
CALL MY NAME!"

「無」に侵蝕され崩壊してゆくファンテイジアの王女である幼な心の君がバスチアンに呼び掛ける、本作のクライマックス。映画の中から発せられたメッセージがアトレイユやバスチアンと共に物語の旅を続けてきた我々の心にダイレクトに届く、素晴らしい名場面である。


王女様に名前を与えることには、一体どんな意味が隠されているのだろう。
ここに我々が無意識のレベルで共有する物語(それを我々は神話と呼んでいるのだが)の秘密の在り処が示唆されているように感じられる。

崩壊した王国に取り残された王女。
守るべき王国が最早存在しないにも拘らずその象徴だけがぽつねんと佇む様には、我々が共有してきた神話を失うと同時に心の繋がりまでをも喪失したことによる不安や殺伐とした世界に生きる孤独が、戯画的に表現されているようだ。


母体をなくした象徴には最早その存在意義は失われてしまった。


このありふれた、今や何者でもない王女様がバスチアンによって名前を授けられることで固有で特別な意味を与えられることになる。
思えば、今では普遍性を獲得したどんな美しい価値も、最初は極めて私的な個人の想いに端を発するものであったのだろう。
そんな個人的で独自固有だった想いがやがて遍く世界へと拡がってゆく。

そうして広大な世界に美しいイマジネーションが浸透してゆく旅の出発点を我々はこの物語を通して体験することになる。
(アトレイユが王女の玉座の間に入って行く様は、入り口の形状からして再生の出発点である子宮へと招かれることのメタファーであろう。)


この世界でいまだ未知のまま眠っている価値有るものは全て、誰かによって発見され、また誰かによって特別な意味(=名前)を与えられるその時を今か今かと待ち望んでいるのである。
あの王女様のように。
この発見と意味づけの儀式こそが連綿と続く壮大で普遍的な物語(はてしない物語)の出発点なのだ。

personalからuniversalへー
そして、おとぎ話(神話)を共有することで我々人類全ての心が繋がる王国が一人一人の心の奥深くに隠されていることを、ミヒャエル・エンデが著したこの物語は教えてくれた。


”Moon Child !”
バスチアンは王女に、母の名に因んだ名前を授けた。
黎明の仄かな明かりを暗黒の「無」の世界に灯す、月光を思わせる美しい名前を。


↓リマールが歌うネバーエンディングストーリーのテーマ。アトレイユ役のノア・ハサウェイの美少年ぶりに感嘆☆
https://youtu.be/lHytjEj7B9g
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