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スローターハウス5のWILDatHEARTのレビュー・感想・評価

スローターハウス5(1972年製作の映画)
4.4
『宇宙的人生観』


ドレスデンとトラルファマドア。
二つの場を結び付ける鍵は、「観察者の視点」であろう。


三次元に生きる人類であるビリーには四次元の存在であるトラルファマドア星人を視認することは出来ない。
しかし、ビリーの人生の全ての時間を四次元の存在であるトラルファマドア星人は既に絶えず観察していた。

我々が暮らす三次元の世界で起こるどんな凄まじい苦難や残虐極まる現実も、四次元に生きる異星の住人の視点で見れば観察すべき興味深いシミュレーションの対象に過ぎないであろう。
それは、我々三次元の人間が二次元の映画世界の登場人物たちを娯楽の対象として興味深く観察することとあたかも相似形を為す。

ビリーは、我々がこの映画を観る様に自らの人生を見ている。
我々が映画の中のお気に入りのシーンをピックアップして観る様に、自らの人生のとある時制へとジャンプする。


ビリーは異星人の如き観察者の視点を手に入れたのだ。
トラルファマドア星人とは、現実世界を俯瞰する観察者のメタファーなのだ。



ビリーが到達したと言う、全ての時間がフラットに並列しており、物事に因果関係が存在せず始まりも終わりも無い瞬間の集合体である世界観。

これから起こることになる地球上の全ての大量殺戮と文明の破壊。さらには、自分の死。
我々によって体験されることになる固有の時系列を持つそれらの事象は、全て「今、ここ」に存在している既成事実なのである。
然るべき時制を得て、順次(三次元的時系列に則り)我々は人生の中にその事実を書き込むことになる。

これが、この世の地獄から生還した原作者カート・ヴォネガットが見出したこの世界全体に対する観察者の視点であり、且つ苦渋に満ちた自身の人生に対する冷徹なパースペクティブであったのだろう。


たった今ウクライナで、そして中東で産み出されている地獄に、この諦念に匹敵するどんな解釈を我々は与え得るのだろうか。

果たして我々は、途方も無い苦しみを享受しながらもヴォネガットが提示するような新たな次元へ上昇することになるのだろうか。
この映画は、我々が遂げるべき進化のベクトルの一つを解り易い物語として紡ぎ出した。
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