日本人の身近にあった芸能「浪曲」の代表作『清水次郎長伝』を、昭和の戦前から戦後にかけ、大人気だった浪曲史の巨星『二代目広沢虎造』の名口演の乗せて、『まんが日本昔ばなし』を手掛けたスタッフによるアニメーションでお届けします!
清水次郎長は、鯱鉾(しゃちほこ)長兵衛の仇討ちで、代官竹垣三郎兵衛と保下田(ほげた)の久六を斬った。その刀をすっかり浄め、約束どおり讃岐の金毘羅(こんぴら)さまに納めようと、子分の森の石松に代参(だいさん)を命じます。 素面(しらふ)のときはいいけれど、酒を飲むと虎狼になる石松。それでも無事代参をすませた帰り道、大阪八軒屋から伏見へ渡す渡し船に乗り込んだ。
八軒屋から伏見への三十石船の中。船客たちは、退屈しのぎに、お国自慢に、名物自慢、豪傑話を繰り広げ、いつしか親分衆の話になった。海道一の親分は清水次郎長。その子分のなかで一番強いのは? なかなか石松の名がでてこない。 「飲みねぇ、飲みねぇ、寿司食いねぇ。江戸っ子だってねぇ」「神田の生まれよ」の名場面登場です。
伏見から清水への帰り道、石松は、草津追分・身受山鎌太郎の世話になることに。鎌太郎は、評判どおりの立派な貸元。別れ際に、次郎長の亡き女房のお蝶への香典として百両と、小遣い三十両を差し出した。 草津追分を後に、遠州中の町にやってきた石松を呼びとめたのが都鳥三兄弟。石松は香典のことをぽろりと話してしまいます。
博奕(ばくち)の義理の百両がどうしてもできないで困っていた都鳥三兄弟。石松が、身受山鎌太郎(みうけやまかまたろう)から次郎長親分への香典百両を預かっているというものだから、胸に一物、石松を都田村に連れて帰り、うまくだまして、その百両を借りてしまいます。 都鳥は、約束の日になっても、言い訳をして金を返さない。おこった石松が啖呵(たんか)を切った。
都鳥三兄弟は二十日には金を返すという。そのあいだにと、出向いた小松村で、石松は兄貴分の七五郎と顔をあわせた。 七五郎は石松の父が死ぬときに「七さん、石を頼んだよ」といったほどのしっかり者。都鳥が金を返すはずがないと察しがつく。自分が百両を都合して、石松をこのまま清水へ帰そうと、石松を我家に連れていく。
七五郎の家で、したたか酒を飲んだ石松は、七五郎の女房のお民が百両を都合してきたのに、都鳥が金を返すかもしれないと、二人がとめるのをきかず都田村(みやこだむら)に帰ります。 都鳥一家には、保下田(ほげた)の久六(きゅうろく)の子分三人がいあわせていた。親分の仇をとろうという三人に、都鳥一家の七人が加勢して、石松を閻魔堂(えんまどう)におびきよせ、欺し討ち。
都鳥たちの欺し討ちにあった石松は、小松村の七五郎の家にたどりつき、七五郎とお民にかくまってもらうことに。 追ってきた都鳥たちを前に、お民が「家探(やさが)ししたらいいだろう」と啖呵を切ると、都鳥吉兵衛(みやこどりきちべえ)、「石松はここにいねぇ。お民の顔色が変わらねぇのがその証拠」と引きあげていく。亭主の七五郎も驚いたお民の度胸。
石松は七五郎をふりきり、傷を治すため一人浜松へむかうが、さっき斬られた閻魔堂(えんまどう)に座り込んでしまいます。そこへやってきた都鳥たち。石松が隠れているとは知らず、「逃げるとは、森の石松は卑怯な野郎だ」などと大声で。 思わず長脇差(ながわきざし)をぬいて飛び出す石松。進む事を知って、退く事を知らないと、こうして早く死んでしまいます。
次郎長の子分がふぐを食って死んだ。その噂に尾ひれがついて、次郎長がふぐにあたって虫の息だという評判に。石松を欺し討ちにした都鳥一家の悪党十一人、これ幸いに次郎長の寝首をかこうと、追分宿までやってきた。 堅気(かたぎ)のふりした都鳥たちを見破ったのが、次郎長の子分で利口ものの追分三五郎。すぐに清水港にかけつけます。
向こうが十一人なら、こっちも十一人というわけで、親分の次郎長は、かわいそうな石松の仇を討ってくださいと、泣いて頼んで子分になった小松村の七五郎以下、子分十人を連れて、追分宿へ乗りこみます。 旅籠(はたご)の青木屋を三百両で買いとって、奉公人(ほうこうにん)も外へ出し、離れ座敷の都鳥の十一人を曲斬り、見事、石松の仇を討ちました。