パワードケムラー

ダーマーのパワードケムラーのレビュー・感想・評価

ダーマー(2022年製作のドラマ)
5.0
 彼は間違いなく怪物だった。しかし、それは一人の少年にアメリカ社会の闇という闇が注ぎ込まれ、彼を歪なものに変えてしまったことによるのかもしれない。それでも、彼を決して罪は許されるものではない。
 新聞の一面に取り上げられることのない人々が彼によって魂を殺され、そして彼が破壊したミルウォーキーという街が彼らのコミュニティだけではなく、遺族たちをも癒えることはない深い傷を負わせた。今日に至るまで、その傷は癒えておらず、街は機能不全のままだ。アメリカ警察と司法制度への不信感は有色人種(黒人だけではなく、私たちすべての有色人種において)に残されたままだ。グレンダ・クリーブランド氏やジェシー・ジャクソン牧師、そして遺族の方々の戦いは今も続いている。
 だからこそ、新聞がつけた「ミルウォーキーの食人鬼」などという彼の行ないを神格化するような渾名は使わない。彼はジェフリー・ライオネル・ダーマー、有色人種やLGBT、聴覚障がい者など社会的に弱いマイノリティを襲った卑劣な男でしかない。彼は薬を盛るか、後ろから不意をついて殴るしか被害者を抑え込めず、ハート・D・フィッシャーがコミックに描いたようなカリスマ的な殺人鬼でもなく、他者を弱らせて支配することでしか自分に自信を持てない人間だ。
 実際、彼はどこか稚拙で言い訳もその場凌ぎものばかり。集団生活もうまくいかず、人間関係を構築できずに問題を起こして職を転々とするカリスマとはほど遠い人間だ。殺人も一時の快楽が欲しくて犯罪を突発的に行ない、それを隠すために行なうがそこでの苦労や周りに出る悪臭などまで頭が回らず、それでも一瞬の快楽ばかり覚えて苦労は忘れて犯行を繰り返すという知性を感じさせることのないものだ。ただ、彼の犯罪はまるで元FBI捜査官が悪魔か何かが守っているかのように感じたと思うほどにアメリカに根深く残る人種差別と性差別という闇によって覆い隠されてしまったのだ。
 逮捕後は加熱報道により、彼の悪行や悪名、その信奉者たちにそこに高る蝿のような守銭奴共は残ったが、彼の被害者たちやその遺族、建設されるはずの慰霊公園の存在は忘れ去れてしまった。これはジョン・ウェイン・ゲイシーやエド・ゲイン、未だ正体不明の切り裂きジャックなど、すべての連続殺人犯に言えることだ。彼らサイコパスと呼ばれる連続殺人犯はカリスマでもなければ、屈強なヒーローでもない。彼らの行ないは恐るべきだが、彼らが自分より弱い相手を選んで薬を持ったり、不意打ちしなければならないほど卑劣で脆弱な人間でしかないことを決して忘れてはならない。そして、彼らを渾名で呼んで神格化してはならない。
 加害者を怪物やカリスマ的存在として描く作品が氾濫する中で、社会問題と被害者を深く掘り下げて事件後を細かく描写し、スプラッターものにせずに観客にこの悲惨な事件と被害者たちは多様な人生の中にいた人間だったことを深く記憶させるライアン・マーフィーの手腕と俳優陣の演技には敬服する。日本でも社会問題と結びついた事件、特に近年では座間9人殺害事件ややまゆり園の事件もあるので、日本でも是枝監督といった社会派の監督たちで撮ってほしいと感じた。

 禄に対応もせずに助けを求める14歳のコネラク・シンタソンフォンをダーマーに引き渡して笑い話にした警官だったジョン・バルサーザックとジョセフ・ガブリッシュへ。
 2人が行なった人種差別と性差別に満ちた怠慢は忘れないし、2人がミルウォーキー警察で高い地位に着き、その過失を認めずに英雄を気取り続ける限り、ミルウォーキーという街と有色人種の人々の心が真の意味で癒されることも、街が機能不全から立ち直ることはないだろう。

 勇気を持って通報して隣人としてすべてを公表したグレンダ・クリーブランドと公民権運動家として警察と市を追求して暴動を直前で治めて戦ったジェシー・ジャクソン、2人と共に真実と正義を求めて戦った公民権運動活動家に同性愛者の権利活動家、被害者遺族たちのためにダーマーの財産がコレクションとして美術品のように信奉者やミーハーな連中に崇められぬように私財を投げ打ってすべて買取って処分したジョセフ・ジルバーたちへ。
 あなたたちが起こした戦いは永遠に人々の記憶に残り続けるだろう。

 そしてスティーブン・マーク・ヒックス、スティーブン・ウォルター・トゥオミ、ジェームズ・エドワード・ドクステーター、リチャード・ゲレロ、アンソニー・リー・シアーズ、リッキー・ビークスことレイモンド・ラモント・スミス、エドワード・ウォーレン・スミス、アーネスト・マルケス・ミラー、デイヴィッド・コートニー・トーマス、カーティス・ダレル・ストラウター、エロール・リンジー、トニー・アンソニー・ヒューズ、コネラク・シンタソンフォン、マット・クリーブランド・ターナー、ジェレマイア・ベンジャミン・ワインバーガー、オリバー・ジョセフ・レイシー、ジョセフ・アーサー・ブラッドホフトたち17人の前途有望の若者たち。
 彼らの犠牲を私たちは決して忘れずに、風化させない。