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私のトナカイちゃんのoqrumaのネタバレレビュー・内容・結末

私のトナカイちゃん(2024年製作のドラマ)
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このレビューはネタバレを含みます

おもしろかった。きつかった。
#4で語られる過去と、この作品の核心の構え方に驚いた。

#3まで見て、共依存というドニーとマーサの関係にこれもしかして観客置いてけぼり系純愛ドラマなの?って諦めそうになったけど、どうしてトランスジェンダーの彼女の存在がこの物語に必要なのかよくわからなかったことと、マーサが「誰かに傷つけられたのね」と言う、そのほのめかしが気になって見続けた。そんなほんの少しのヒントだけでじゅうぶんだったと見終わった今思う。

言葉になって語られることは、その人の感情や思考のうちの少しの部分だけ。
だから、思考と行動が矛盾しているように思えることがある。
っていうことは、ふだんの生活の中でも感じることだから、(他人にはもちろん、自分自身にも)
主人公の行動には見覚えがあって、それはとてもよかった。

「言ってないだけ」っていうことが、一緒に過ごす人の中にもきっとある。
それは当然のことだし悲しいことではないけど、でも全部知ってみたい気もする。
うーん。<その人を理解するうえで、絶対に知らなければならないこと>って、あるんだろうか???
ドラマや映画、小説は、理解するために必要な情報を基本的にはすべてその中に入れてくれるからすごくいい。
作品の外側から補足情報を得て理解を深めるよりも、その作品にあるものだけを見る、っていうのがいい。


痩せたいと思いながら食べてしまうクッキーとの関係性が、
やめたいと思いながら受け入れてしまうマーサとの関係そっくり。
承認欲求、自分より弱い存在へのマウンティング、
自分では許せない自分の存在を誰かに求められることによって肯定できるという救いはクセになる。

クッキーの、美味しい幸福と自己嫌悪のバランスが少しづつおかしくなって、いつしか、「ああやっぱり自分はだめだ」と自分を懲らしめるためにクッキーを食べるようになる。
それで、自分を憎むことを手放せないっていうところまで自分を理解したら、その後、ドニーはどうするんだろう?

ボイスメッセージにマーサの「怒り」や「懇願」「脅迫」だけでなく、「愛情」も残されていたところで、ちょっと置いていかれた。
<トナカイちゃん>の由来が語られるところ、あそこまでマーサが可愛くみえる必要はあったのかな??
マーサのあの上目遣いだけでよかった気もしたけど。

最終的にドニーにとってマーサが女神のようであったことに関して、ファンタジー味を感じたりもしたのは、
つまり私にとってこの作品の主題が、ドニーが過去と向き合い自分を許す、ということにあると思えたからなんだと思う。
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