夏

僕らは奇跡でできているの夏のレビュー・感想・評価

僕らは奇跡でできている(2018年製作のドラマ)
5.0
“普通“で在れない主人公が周囲との関わりを通じて云々、というはなしではなく、
彼のまわりにいる“普通“のひとびと、生きづらさをかかえる“普通“のひとびとが、彼との交流により解きほぐされてゆく時間だった。

主人公の在りようをしめす単語はまったく出てこなかったけれど、それはとても現実的で自然なこと。
あのひと変わってる・ズレてる・おもしろいなんて思うことがあったとしても、知識がなければなににも思い当たらず気づかず、そこになにか意味をもたせることもしない。個と個の交わりの中で、個は個でしかない。

どう在ったって自分は自分で、どうやったってあなたに代われない。
カテゴライズしなくとも・誰にでも・どんな交わりの中にも哀しみと歓びは両方あり、ひととひととはつながれる。
無理やりつけるような意味なんていらない。気づいた意味をちゃんと愛せるように、会いたい自分がいる方へ。

我が子の“個性“を受けいれられず、なんとか“普通“に近づけようとし、燃え尽き離れてみずからに罰を与えたひと。我が子を“だめ“な子と決めつけ、悪気あってのことだと思いこみ、真実に気づけなかったひと。いもしない誰かの目線や常識にしばられ、ずっとがんじがらめなままのひと。
すべて私だった。そして一輝は我が子であり夫だった。名前のついた“個性“をもつ家族との関わりに悩むなか、図ったかのように出会ったこの作品にすくい上げられた。すべてが物語のようにおとなしくおさまる現実ではないけれど、すこし自分をいじめすぎていたのだと。
他人の目なんてあってないようなもの。正解なんてあってないようなもの。心が夢中になる方へ、楽しい予感のする方へ向かうことのできるひとたちとともに、人生も感性も自由にあっていいのだと、誰かがつけたような名前は必ずしもそこに必要ないのだと。
思い出させてくれたのはフィクションで、すこし情けなくも感じながら、今の自分にたいへん大切なものでありました。
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