はるな

ヒトラーの共犯者たちのはるなのレビュー・感想・評価

ヒトラーの共犯者たち(2018年製作のドラマ)
-
ep.1
これは面白い!!イメージ映像を豊富に使ったドキュメンタリー形式。ナチスがどう誕生したか、そこからどうやって一国の支配者となったかが描かれている。

ナチスの起源は、トゥーレ協会というほぼオカルト研究会みたいなやばい極右の団体だということを初めて知った。ドイツ人の起源は伝説の島アトランティスで、その島の出身であるアーリア人こそが世界を作った優秀な人種だなんて思想を真面目に信じていたなんて荒唐無稽すぎて驚く…

その会員であるエッカートが、演説の上手いヒトラーを見つけ引き入れた。そこに、ゲーリングやレームなど第一次世界大戦に貢献した軍人たちが名誉の復活を求めて集まり、オカルト好きで軍人への憧れがあるヒムラーや、ヒトラーに忠実な退役軍人で頭脳派のルドルフ・ヘスが集まったわけだ。

ナチスは一政党として活動を広げ(ちなみに突撃隊はもともとスポーツ隊として立ち上げられたということも初めて知った)、一度は政権奪取のためにクーデターを目論んだものの失敗。その後民主主義に則って政権を取りに行った。

ep.2
今回は、クーデターに失敗し、レーム、ヒトラー、ヘスが投獄されてから政権を取りに行こうと挑むまでのエピソード。

投獄中のヒトラーが自らの裁判の場をチャンスに転じ、ドイツと国民への思いを演説して裁判官たちの同情を買い、さらには国中から注目を浴びるようになった話は凄まじかった…。投獄中にヘスに勧められて書いた『我が闘争』、「猛毒のような本」と表現されていたけど読んでみたいな。

そして仮釈放後、演説を禁止されていたヒトラーに代わり、ナチスの広告塔となったのがゲッベルスだ。ゲッペルスは自身の右思想を広めるために新聞記者→演説家というキャリアを辿っていた。彼がヒトラーを知ったのが、裁判での評判だった。

突撃隊のリーダーだったレームは革命思想の持ち主で、「今は民主主義に則って政権を取りに行く時」と考えるヒトラーと相いれず離党。ボリビアへ。

ヒムラーは突撃隊の中でもエリートだけで結成した「SS(親衛隊)」を設立。アーリア人の特徴を持ち、18世紀まで先祖をたどれる人だけで組織した。

ゲーリングは、クーデター後モルヒネ中毒になっていたが、その社交性と英雄としての知名度が買われ再び党に舞い戻った。

しかし1928年の選挙にナチ党は大敗。その頃にはドイツの経済は安定し、もはや国民はメシアを必要としていなかったからだ。誰もがナチ党の終焉だと信じていた。

だがその翌年、アメリカで経済危機が起こり、その影響でドイツも窮地に立たされる。ヒトラーは予言者として祭り上げられるようになる。

ep.3
「過激政党は、国の危機に乗じて力を手に入れる」この言葉の通り、29年アメリカの経済危機を機に、30年の選挙でナチ党は急激に勢力を拡大。国家第二党となる。そして32年ついに事実上の第一党に(実際は共産党との連立政権)。

飛行機を使って全国を凱旋、拡声器付きの選挙カーで機関紙を配布するなどかなり精力的かつ革新的な宣伝活動を行なった。宣伝担当のゲッペルスと、頭が切れる参謀的存在ヒムラーが活躍した。

しかし、共産党との連立政権の中拮抗状態に。それを打破するため、議員歴の長いゲーリングが時の大統領ヒンデンブルクとヒトラーを繋ぎ、33年、ついにヒトラーを首相に任命させた。

その見返りとしてプロイセン州首相に任命されたゲーリングは、現地警察を再編成して情報機関ゲシュタポを結成。その実態は秘密警察だった。

依然として共産党との連立政権のままで思うように動けない状況をなんとかすべく、ナチ党はこれまで以上に激しく共産党を糾弾。そんなときある事件が起こる。共産党員が国会に火をつけたのだ。ナチにとっては願ってもない奇跡だった。この事件を利用して共産党の危険性を国民に植え付け、突撃隊・SS・ゲシュタポ総力で共産主義者を迫害・逮捕した。ナチの言葉を信じていた市民はこの行為を黙認した。

このとき突撃隊の粗暴な行為が目立つ。
突撃隊は、ナチが第二党になったころヒムラーに呼び戻されたレームが統率していた。しかし軍人的な思想を持っていたレームの突撃隊は粗暴で、エリート集団のSS隊のイメージダウンにも繋がりかねない。ヒムラーはSSの権威を確立するため、情報部のSDを立ち上げ、そのまとめ役としてハイドリヒを採用する。

しかしやはり突撃隊を解散せねばならないと考えたヒムラーは、ゲシュタポを統率するゲーリングと組んでレーム失脚の筋書きを作る。反乱の証拠(もちろんでっち上げ)を見つけ、反逆者として粛正するのだ。この粛正では、レーム含む突撃隊の幹部数百名が殺害された。この事件は「長いナイフの夜」と名付けられている。
はるな

はるな